2018-09-01から1ヶ月間の記事一覧

マネ

‪トランプと彼に最高裁判事に任命されている人物を支持する人達をみると、あっちに行ったら自分たちに不利となると多分知っているはずなのにどうしてあっちに行ってしまうのかと考えこんでしまう。もちろんこれは安倍政権の支持者の問題でもある。問題は、国…

映画を考える

映画と呼ばれていたものは、運動によって成り立つイメージのあり方と、時間によって成り立つイメージのあり方があるといわれてみるとなるほどぴったりくるものがある。何にしても、最初から、本を読む人が映画を見ることの意味が問われていたのだから、読む…

セリー

‪ ‪1980年代にケインズ批判経済学とかリベラルの統治的憲法学とかを勉強しなければならなかった感じで、海外に行くと、比較文学、ラカン精神分析的映画学、ポストコロニアリズミ的フェミニズムを勉強したものだけれど、偉そうに言っちゃうと、マルクス主義か…

映画の歴史

映画は何も恐れはしなかった、他のものも自分自身も。映画は時間から守られていたのではなく、時間をまもっていた。レマン湖は、20世紀と同じ大きさをもった映画が横たわる墓地

『フィネガンズ・ウェイク』

‪ riverrun, past Eve and Adam's, from swerve of shore to bend of bay, brings us by a commodius vicus of recirculation back to Howth Castle and Environs.柳瀬尚紀さんのお仕事は、FWの冒頭文、riverrunnsを、「川走」と訳して​、せんそう(戦争)と…

『フィネガンズ・ウエイク』

‪and there were, like a foremasters in the rolls, listening, to Rolando’s deepen darblun Ossian roll (FW)‬ ‪「クオーク三唱、王マークに」で始まる第二部第4章。マタイ、マルコ、ルカ、ヨハネという4人の福音書記者を喚起する語り手がトリスタンとイ…

『気狂いピエロ』

‪ ‪調べてみると、映画の歴史を証言する『気狂いピエロ』のロケ地が現在も自動車が入れない車禁止の島らしいんです、地中海にある島。いつか訪ねていきたいとおもう場所であります。映画史の旅というのは時間の至上をみるための空間としたら、思想史の旅は遠…

「帝は是れ理を主と為す」

‪「帝は是れ理を主と為す」‬(陳淳) 子安先生の訳と解説 (『朱子語類』を読む) 「天が帝であるとは、理を主としていうのである」 • 人間が自らに判断できる主宰性(主体的、自立的)をもつのは、人間は心をもっていることによる。 MEMO (不勉強な私の現在から古…

時代のスピードがはやくなってきたとは、物の見方が大きく変化するようになってきたということ

時代の支配的見方である「正しい」ことにこだわる教条主義>の倫理的問題が理論的に分析されるようになったのは、1970年代からのポストモダンの時代にだとおもう。あれから50年、テクノロジーの進歩とともに、加速していくように時代のスピードがはやくなって…

時代のスピードがはやくなってきたとは、物の見方が大きく変化するようになってきたということ

時代の支配的見方である「正しい」ことにこだわる教条主義の倫理的問題が理論的に分析されるようになったのは、1970年代からのポストモダンの時代にだとおもう。あれから50年、テクノロジーの進歩とともに、加速していくように時代のスピードがはやくなって…

時代のスピードがはやくなってきたとは、物の見方が大きく変化するようになってきたということ

時代の支配的見方である「正しい」ことにこだわる教条主義の倫理的問題が理論的に分析されるようになったのは、1970年代からのポストモダンの時代にだとおもう。あれから50年、テクノロジーの進歩とともに、加速していくように時代のスピードがはやくなって…

宮沢賢治『銀河鉄道の夜』

‪今日は宮沢賢治の命日なんだそうである。『銀河鉄道の夜』は芝居が先だった。小説は芝居のあとに読んだ。そういうこともあって、ジョバンニはわたしのなかでは沈黙しがちである。本を読むと、ジョバンニ‬がもっている自分自身の言説というか、「じぶんの考…

MEMO

‪どこの国の誰でも自分の国について喋り始めるといきなりつまらなくなる。あれはなんだろうね?国家哲学を語るからだと思う。だけれど国家は言論のなかにしか存在しない。例えば誰と誰が語った日本とか、誰々が語った明治維新しか存在しない。日本とか明治維…

漢字

‪大活躍のトゥランドット姫。写真は、舞台のスクリーンで映し出される舞台裏の姫の姿‬。ちょっと本音が出るネット発信のくつろいだ雰囲気を思わせる。やはり大切な場面だとわたしはおもっている。自由に振舞っているようにみえて、隅から隅まで皇帝の姫を演…

<説教したがる男たち>悪

<説教したがる男たち>悪 説教したがる男たちは特権のなかにいます。特権が見えないのは特権のなかに属しているからだという問題は、倫理的な問題です。こういう問題は、父なるものが孕んでいる問題で、法の問題としてもっと考えてみなければならない問題なの…

ブレヒトで読む現代中国

「名の知れた人の言葉が、すべて名言であるとは限らない。少なからぬ名言は、むしろ農夫や田舎の老人の口から出たものだ。」(魯迅) 1、ブレヒト戯曲のおそらく議論をよぶ思想の部分ー2018年の現在からいかに50年代の戯曲を解釈するかーについて語ることは、…

St. Thomas of Aquinas

The existence of an actually infinite multitude is impossible. For any set of things one considers must be a specific set. And sets of things are specified by the number of things in them. Now, no number is infinite, for number results fro…

テニス

テニスは常にテニス以上の意味をもっていました。アーサー・アッシュとかビリー・ジーン・キングの時代は、テニスの身振りとジェスチャーがアイデンティティの政治と結びついていたようですが、テニスに政治が読み出された最後は、スエーデンのワーキングク…

‪感想文 ; ブレヒトの芝居小屋『トゥランドット姫 あるいは 嘘のウワヌリ大会議』(ブレヒト作、公家義徳 上演台本・演出)‬

‬ ‪1、トゥランドット姫といえば、プッチーニのオペラ。美しく冷酷な姫トゥーランドットと結婚するには3つの謎を解くことが必要で、謎が解けないと、首をはねられてしまう決まりのことはだれもが知っている。知に依存するオリエンタルな国家が表現されている…

思想史講義(子安氏)で考えたこと‬

‪MEMO 今日の子安氏の思想史講義で考えたこと‬ ‪ヘーゲル『法哲学』はこう問うた。‬ ‪いつの間にそんな家族が現れた‬ ‪いつの間にそんな市民社会が成り立った‬ ‪だから国家をもった‬ ‪ここでヨーロッパでは市民的不服従はわれわれの問題ではない。国家の問題…

今日の思想史講義(子安氏)‬ 9月8日

思想の地震

思想の地震 ‪ポスト構造主義のラジカルリベラリズムと文化多元主義から、Badiouが再構成するようなプラトン的普遍主義の方向をもった政治的多元主義への移行が、 Occupy Wall Streetを契機に起きている。ポストモダン孔子のラジカルリベラリズムと文化多元主…

『仙境異聞』とはなにか

80年代ポスモダン言説は閉じているとみなされ、前近代と非難された。70年代の批評精神ほどのものを失って文化多元主義の方向にそれほどすすむことがなかったと近代主義者からみえたかもしれないが、まだ思考は続いていた。たしかに近代というのは非常に強力…

「沖縄を見る目」

「沖縄を見る目、アムロが変えた」という今朝の新聞の大見出しをみて、軽い気持ちで、北アイルランドを見る目をU2が変えたいわれたことと比べてみようとした。しかし段々溜息がでてきてしまった。「沖縄」は吉本が語る「沖縄」であった。あるいは、柳田の「…

思考の千の高原

‪分割は不毛だと非難する考え方がいつも出てくるけれど、わたしは分からない。人間は分割に対する関心をもつから思考が成り立つとおもうから。問題は、せっかく思考がはじまるときに、「父の死」「神の死」を反芻する方向で分割を統合して、思考を外に放りだ…

鄙びた路地裏で 巻かれたら巻きかえせと人形遣いの 世を問うた 消えた最後の小屋 他の仕事が追い立てたために気がつかないままである