2019-11-01から1ヶ月間の記事一覧

MEMO

Chaosmos of Alle 万物のカオス(コス)モスーFinnegans wake James Joyce‪映画というのは、方法としての神話だ。フレームは操作による(世界の)変形だ。フレームのなかに世界をとらえようとすると、世界は全体であると同時に枠づけられた世界は部分である。全…

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アジア思想を考えるとき、絵画における場合と同じように、点は四書の解釈のあり方を再構成する朱子学と『論語』に帰る古学であるが、点が線を作るのではなく、逆に、同一性と差異性の線のほうが脱領土化した点を巻き込み、外への作用に駆り立てる。外部の思…

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「祀られる神」のほかはだれもはいることが禁じられている部屋は果たして存在するだろうか?禁止を破って部屋に入ったら、そこに「祀る神」がいたというんだね。そこでこそ「私」無き「公」の「大御心」が成り立つ。だがこの話はおかしくないか?だって部屋…

フレームから考える映画の方法としての神話的思考

‪映画というのは、方法としての神話だ。フレームは操作による(世界の)変形だ。フレームのなかに世界をとらえようとすると、世界は全体であると同時に枠づけられた世界は部分である。全体は全体である。全体を部分にすることができないのだから、これはフレー…

思想史についてー思想史アマチュアが書きました

講座『大正を読み直す』のときに彼の名前をはじめて知ったとおもっていたが、そうではなかった。忘れていたが、思想の歴史に関心があったがどう勉強していいのかわからなかった学生時代に、津田左右吉の本を読めと父に言われた。そのときは何か彼をとらえて…

コッポラの『地獄の黙示録』を読む

コッポラを称えるアメリカ人観光客が地図を携えて第三世界を旅行するときはいつどこでテロに襲われるかわからないという『地獄の黙示録』のなかにおいて描かれたような恐怖をもって歩いているのだろう。映画がやれることは少ないが、それ以上のことを伝える…