2014-04-01から1ヶ月間の記事一覧

柄谷の'交通'はどこに消えてしまったか? ー討議<帝国・儒教・東アジア>をいかに読むか (3)

柄谷の'交通'はどこに消えてしまったか?ー討議<帝国・儒教・東アジア>をいかに読むか (3) 禁書であった「歎異抄」は、近代以降に発見されていくテクストであった。われわれは原初テクストを読むことができない。ただ日本近代知識人達がいかにこの読めぬテク…

柄谷の'交通'はどこに消えてしまったか?ー討議<帝国・儒教・東アジア>をいかに読むか (2)

柄谷の'交通'はどこに消えてしまったか?ー討議<帝国・儒教・東アジア>をいかに読むか (2)ライプニッツの「モナド」は'窓'が無い。これが大問題だ。そこで、「モナド」間の'交通'を実現する、任意の一つのモナドが、柄谷がいう「帝国」の'モナド'である。成…

空間とはなにか?

好きな空間とはなにか? 街の空間とか舞台の空間とか、デモの空間とか、あるいは、おもちゃ箱や本箱の中の配置や油絵や文章の連なりでも言えることかもしれないんだけどね。ほら、折角、<ぎゅっ>としていても、その結果もし自ずと<ごちゃっ>としていたとした…

柄谷の'交通'はどこに消えてしまったか? ー討議<帝国・儒教・東アジア>をいかに読むか

他者との関係をいう「交通」の概念。マルクス「ドイツイデオロギー」に出てくるこの概念を、柄谷行人はマルクスの可能性の中心に置いた。そうして、たとえば、柄谷氏の「資本論」の読みでは、交通は「交換様式」として投射される。しかし現実には彼の「交換…

ファシズムとはなにか?(1) ー表象の問題

ファシズムとはなにか?(1) ー表象の問題ロンドンのTATE MODERNで、ウィットゲンシュタインのテクストを利用して表象批判するワークショップに時々参加した。このテーマの意義を理解できずロマン主義的大芸術家の称賛に留まるのが多数派英国人中流。表象批判…

思想がいかに民主主義と関わってきたかという歴史。同じことを繰り返さない、また同じことが成り立たぬ思想史の運動

思想がいかに民主主義と関わってきたかという歴史、そして、同じことを繰り返さない、また同じことが成り立たぬ思想史の運動 廣松を中国語に翻訳してきた石井氏によると、「日本では、中国における新左派は日本の新左翼、欧米のニューレフトと同一視されがち…

スケープゴート - 遍路道で外国人排除を助長する貼り紙

偏見から, スケープゴートを行う人々の言動は本当に深刻。道端で、昼間に学校に行かぬ小さな子供をみかけてどうしたのか?と気遣う、そんな他者に対する卑近な共感が、戦争を煽るヒロイズムとナショナリズムに押し潰されてきているのかも。安倍自民党と増殖…

90年代以降日本ポストモダニズムは、脱構築ではなく、ノンポリ的右翼の脱抵抗 ?

90年代以降日本ポストモダニズムは<脱構築>ではなく、<脱抵抗> ?デリダの脱構築論は、<抵抗>に定位した思想だからこそ、マィノリティーに向かってHello!と常に言うのです。これについて思い出すのですが、このデリダのジョイス論を読んだアイリッシュは、他…

'世界史の構造' は、ヘーゲルの目覚めることができない悪夢

'世界史'の構造は、ヘーゲルの目覚めることができない悪夢 東アジアにおいて抑圧されていく歴史の記憶。安倍の戦争責任の忘却、2・28事件の忘却、光州事件の忘却、天安門事件の忘却。福島の3・11の忘却。誰が抑圧するのか?ネオリベのグローバリズムである。…

柄谷の「江戸の注釈学と現在」(1985)は、本当に、それほど注釈学だったのか?

柄谷の「江戸の注釈学と現在」(1985)は、それほど注釈学だったのか? 丸山真男「日本政治思想史」の問題は、想定した西欧のフレームワークに、江戸思想の地図をぴったりとはめ込んでしまう方法にある。柄谷行人が丸山の地図を批判するときこの対応のフレーム…

柄谷行人の'交通'はどこへ消えてしまったか? (5) 結論

柄谷行人の'交通'はどこへ消えてしまったか? ー日本オリエンタリズムについて考える (5) 結論 柄谷の'形式化'は本当にそれほど'形式化'だったか?カントとマルクスの形式化について、思考を適用する歴史が、周期的に!、20世紀以降も反復するのか?たしかに…

柄谷行人の'交通'はどこへ消えてしまったか? (4)

柄谷行人の'交通'はどこへ消えてしまったか? ー日本オリエンタリズムについて考える (4)辻邦生曰く「僕らは無意識に既に東洋である事を失っている」。が、「我々の歴史意識」と丸山真男が称えた'西欧'に避難したつもりなのだろうか?丸山が「'変化の持続'は…

柄谷行人の'交通'はどこへ消えてしまったか? (3)

柄谷行人の'交通'はどこへ消えてしまったか? ー日本オリエンタリズムについて考える (3)プロスぺローが孤島で自ら描いた魔法の円ー外と内とを分け隔てた円ーのように、そもそも政治的と非政治的とを分け経てる線引きが可能なのだろうか? 自身がこしらえた…

オリヴェイラ「家族の灯り」の感想文 (2)

映画の宣伝が繰り返す、百歳超えてつくったという見世物的関心はどうでもいいこと。やはりオリヴェイラからは、(かれが関わった)ポルトガル革命のことを消し去ってしまうことはできなかったのではないかと考えた方が幸せです。映画では、革命運動に投じた刑…

柄谷行人の'交通'はどこへ消えてしまったか? (2)

柄谷行人の'交通'はどこへ消えてしまったか? ー日本オリエンタリズムについて考える (2)ヨーロッパではサルトルが復活している。サルトルの復活、というか、構造主義によっては克服されはしなかったというべきだろう。日本ポストモダニズムの勝手な思い込み…

「政治的であること」と「非政治的であること」は区別できるのか?

現在台湾で抗議する人々に、「天安門」の如き弾圧が起きないかと心配する声も。カウンターデモから、学生たちを守ろうと市民が座り込んでいます。それにしても、かくも政治的に抗議している他者を、もし同一者の中の他者として非政治的にしか解釈しないとし…

英語の場合、否定の反語的使用が婉曲表現を組み立てるから、会話の中でnotがきこえてきたら要注意

敬語はコミュニケーションを成り立たせるための婉曲表現。敬語はむつかしいよな。意外と自覚されていないけど、英語も日本語に劣らず敬語がめんどくさい。たとえば、ロンドンの喫茶店でフランス語の本を読んでいたときのこと。知り合いのイギリス人が「I can…

柄谷行人の'交通'はどこへ消えてしまったか? (1)

柄谷行人の'交通'はどこへ消えたか?ー日本オリエンタリズムについて考える (1)分かりやすい例として、貝塚茂樹と丸山真男の中国認識がいかに、オリエンタリズムを構成するのかをみながら、柄谷行人の中国認識の問題点を分析する手がかりとしよう。実は柄谷…