2019-08-01から1ヶ月間の記事一覧

MEMO

「戦後の日本は物質的に豊かになったが、代わりに失ったものがある」という言説に対してなみを言うか?たしかに失いました。朝鮮戦争とベトナム戦争によって物質的に豊かになったという、他国の不幸を犠牲にしてしか豊かになれなかった恥ずべき記憶を失いま…

‪ storytellerとは何か?

‪ storytellerとは何か?戦争の経験は語られるけれど伝わらない。戦争をもたらした帝国主義のことも伝わらない。帝国主義ヨーロッパからは目には見えない国家があった。植民地を持たぬ国である。況やおいて植民地された国はゼロである。そこから、いかに自己…

教養をたたえる

‪教養をたたえるわたしは人文主義という意味ならばですが教養は大切だと考えています。教養に取り組んでいたならば、ルネッサンスのソクラテス像からの理解によるのですが、専門家(近代合理的型官僚支配)になっている暇がないでしょうと言われます。これは教…

言説「憲法は本来的に国民を統合する」に反論する

言説「憲法は本来的に国民を統合する」に反論する言説「憲法は本来的に国民を統合する」はどう読まれたか?どう読まれたかといっても、この言説を批判するひとがいないので、結局このわたしがどう読んだかをここに書くだけなんですけれど。憲法の力とは、絶…

「国語」の思想とはなにか?

「国語」の思想とはなにか?そもそも「国語」という命名に違和感をもっていましたし、現在もその違和感がなくなりません。戦後民主主義(一国民主主義)にとっての日本列島の「国語」なのでしょうが、それでは戦前の台湾で日本語で文学を書いた作家たちが無視…

靖国神社の問題とはなにか?何を考えていくのか?

靖国神社の問題とはなにか?何を考えていくのか?靖国神社の問題は、何といっても、死者のあいだにhierarchyを作り出す点ですね。戦争体験は語られているが、伝わってこないのは、靖国神社の言説に絡みとられているということにも原因があるでしょう。さて靖…

芸術作品は物で書かれたものとして存在する

ナチスは退廃芸術の展示を行なった。また彼らの思想に合わぬ書物を儀式的に焼き払った。何故ナチスは芸術作品と書物を一緒に破壊したのだろうか?まず彼らは芸術作品と本が一体であると見抜いていた。芸術作品は物で書かれたものとして存在する。芸術作品即…

『朱子語類』を読むことの意味

中国哲学とインド哲学を勉強する学生が少ないと若い中国哲学の研究者から聞いた。と書くわたしもアジアの哲学をほとんど知らないでやってきたではなかったか。ほんとうにそれでいいのかと思いながら彼の北京大学留学の話を聞いた。インド哲学といえば、ダブ…

MEMO

‪ 他者が存在するという意識が構成するシンメトリーを失っているあり方を表現している作品だけに、全体に覆われずにいる部分と部分の間の僅かな空隙もない現実がみえてしまった。逃げ場が無い.. Que veut dire Levinas par < interstices> ?‪‪三木清の「死…

「これは映画ではない」

‪ 「これは映画ではない」‪‪ゴダール映画のカメラは命題論理だといわれます。思い出すと、ダブリンの詩人のリチャードはこれを見て「くだらない」といってきました。若いときトリニテイで彼は論理学の勉強していたから直ぐに気がついたのですね。「これは映…

津田左右吉

「他力本願」(『教行信書』)と「克己復礼為仁」(仁斎『論語古義』)の自己を否定する日本思想は普遍主義的によく理解できるものです。西欧思想史からみると、津田左右吉は普遍主義であるのか或いはそうでないのかわからないというのですね。漢字は不可避とし…

津田左右吉

‪「他力本願」(『教行信書』)と「克己復礼為仁」(仁斎『論語古義』)の自己を否定する日本思想は普遍主義的によく理解できるものである。西欧思想史からみると津田左右吉は普遍主義であるのか或いはそうでないのかわからないという。しかし思考が不可能となる…

漢字論

‪他者を罵倒する幻想、ヘイトスピーチ。どうしてヘイトスピーチがおきるのか ?この他者を罵倒する幻想が幻想を生むのは、『古事記』みたいなものを読むからではないかと思っていた。そんなに単純なことではない。たしかに現代語訳を読めば、他者を罵倒する…

Storyteller

No.1隣国を信頼して戦争しないという誓いはどうしたのですか?誓いを実現するためには全力で外交しなければいけないでしょう。ホホー、中々二人以上にならんのですけど、「ふくろう猫共和国」から、国交断絶のノリでワイワイいっているようならば「ホワイト…

MEMO

子安先生によると、伊藤仁斎は天地の生成を善としてとらえていく。善は生まれつきの善である。そうして覚醒について考える仁斎は朱子と共にあるが、彼は朱子学の形而上学的な理気論的概念と体用論的言語から離れていく。至上なものは、究極的なものにではな…