2018-01-01から1年間の記事一覧

「2018年」とは何であったのか?

‪ヘイトスピーチの悪については語られるけれど、歴史修正主義者が押しつけるノスタルジーの悪のことは語られない。明治維新150年というノスタルジーは悪だ。2018年で最も幸せに感じるのが今日この日で、2018年が車で立ち去っていくときにバックミラーにうつ…

ポスト構造主義はヘーゲルをどう読んだのか

ポスト構造主義はヘーゲルをどう読んだのか No.1 そし他方の極に、言語(ランガージュ)の顕示力が、文法より古い自律的問題として再出現するであろう。そして19世紀全般を通じて、言語(ランガージュ)は<言葉(ヴェルブ)としての謎めいた本性において、すなわち…

‪『2001年宇宙の旅』をたたえる

‪『2001年宇宙の旅』は、一番最初に観た映画として記憶が蘇る映画です。映画は、<人間>のなかで、<人間>にとって接近できない<起源>の後退を描く一方で、<起源>が接近できない<人間>の後退も描いていたように思いました。<起源>なき<人間>は自己自身から生ま…

ジョイス論

‪ ‪制度論(制作論)のリアルの力と同時にフィクションが働く思考の仕方は、ジョイス文学の神話的リアリズム(Declan Kiberd)の手法と深い関係があると理解してきた。「自分で決めた亡命」のジョイスがやったこととは、アイルランドを、政治的に独立するアイル…

鬼神論

深読みであると言われるだろうし、また論理飛躍の安易な適用と非難されても仕方ないのであるが、MEMOとして、鬼神論で読み解く『銀河鉄道の夜』を書き留めておこうと思う。 『銀河鉄道の夜』の初版は1934年である。『銀河鉄道の夜』は、他者を殺戮していく「…

ラスト『銀河鉄道の夜』(東京演劇アンサンブル)

宮沢賢治は線をひく。 銀河鉄道が行く垂直線と 共同体が住む水平線の間に第三の線を引く。 この至高かつ卑近な線によって、 生死は、宇宙論的な世界のなかに読み入れられていく。 近代は死んだらそりっきりだけれど、宮沢賢治の世界では、生も死も共同体にと…

フーコ『肉体の告白』

‪ ‪久々に新宿の書店に来たら、大変気になっていた本があった。今年出たフーコの『肉体の告白』。買う前に立ち読みする。拾い読みしながら、思い返すと、神との出会いがどうしてそれほど汚れてはならないものであると考えなければいけないのかと初めて考えた…

オーストラリア

‪オーストラリアが西エルサレムをイスラエル首都と認定したというけれどこれは大問題だ。どうしてこういうことに?オーストラリアは白豪主義から脱却するナショナルアイデンティティとして、自然とエコロジーそしてマルチ・カルチュラリズムへ行くが、トラン…

ゴダール論

ポストモダンの時代に根拠を与えることを考える意味は何か?(3) ‪ この問いはこう言い換えてみよう。ポストモダンの時代においてかつて存在した映画たちを考えることの意味はなにか、と。映画は映画であるゆえんは自らをスクリーンに向かって投射することに…

ポストモダンの時代に根拠を与えることを考える意味は何か?

ポストモダンの時代に根拠を与えることを考える意味は何か?(1) 言語が先行する。ポストモダンは非在郷( les utopies) の人を慰めてくれる言語で語られる見方の中でそれとは異なる混在郷( les hétérotopies) の読み難く不安をあたえずにはおかない自立的言語…

MEMO

‪XIXe siècle, le langage sera interrogé dans sa nature énigmatique de verbe; la où il est le plus proche de l’être, le plus capable de le nommer, de transmettre ou de faire scintiller son sens fondamental, de le rendre absolument manifeste…

‪ポストモダンの時代に真実を考えることの意味は何か?

‪ポストモダンの時代に真実を考えることの意味は何か? 形而上学は存在を存在として考えることの意味を問う。17世紀が読み解くアジアの形而上学の始まり(13世紀)に、すべてを語り尽くすと語る主体が登場する。それは、近代の真実を自己が話し自己が聞くとい…

中江兆民

‪言語(エクリチュール)が先行する。言語が思考を可能にする。中江兆民にとって、たしかに近代ヨーロッパ語が書いたルソーは考える契機であるが、思想を自分たちのものにするためには、漢文体の言説でなければならなかった。つまり漢文エクリチュール(漢字書…

アルトー論

解釈する神学的なものはアルトーに拒まれたとデリダは言う。エジプト象形文字や古代漢文を註釈する近代にだけでなく、死に切った言語にも怒った、アルトーの身体は、死に切っているテクストを要求した。肉体は、国家の身体(「国体」の概念)と違って、本質と…

ゴダール論

1、アジアの形而上学がつくられてくる時代の議論を読むと、上(天)に行くものと下(地)に行くものとのあり方に整理されてしまうことが無理な、今風に言うと記号の二元論を突き崩すようなかんじで、上に行くことは行くがその上に行ったものが下にやってくること…

ユーチューブのパリのデモを契機に考えたこと

‪ ‪ ‪ パリのグローバル資本主義を推進してきたマクロン政権に抗議するデモはもう幕引きか、それとも再び始まるための終わりなのか。ユーチューブのパリのデモを契機に大局的に考えたことを書いておこうとおもう。グローバル資本主義にたいしてグローバルデ…

北一輝と明治維新の読み

‪ ‪ ‪ 北一輝は社会主義者の視点から、天皇主権の天皇機関説の問題をみていたが、彼の国家から民主主義が生まれるという如き社会主義者の幻想もまた問題をもっているといわれる。国家主義者だからこそ明治維新の正体を見抜くことができたかもしれないという…

眠れない夜に考えること ー 貨幣、テクスト、映画

眠れない夜に考えること ‪『資本論』を読むと、貨幣(等価交換)を物語るテクストが存在することから、貨幣が存在すること(貨幣フェティシズム)へとマルクスの関心が移っていくようでありますが、一体これはなんだろうかとおもっていました。‬また、宣長は神々…

国家と祭祀

‪明治国家は国家として承認されるために政教分離を必要とした。国家は寧ろ政教分離をもつことによって、祭祀国家が成立したのである。戦う国家=(自らのために)祈る国家は政教分離の対象となる宗教ではなかった。21世紀に日本の依るべき道を定めるために、思…

「大嘗祭」の問題

聖徳記念絵画館では、「五箇条御誓文」、「江戸開城談判」、「即位礼」、「神宮親謁」、「廃藩置県」、「岩倉大使欧米派遣」といった壁画のあとに、21番目の「大嘗祭」の壁画(1871)がくる。「靖國神社行幸」の壁画(1895)は64番目である。オフィシャルガイド…

卑近的史上あるいは至上的卑近 ー至上なものは卑近なものにある

至上なものは卑近なものにある。それはどういう意味か?至上なものが君主から国家へ移る近代に、人間は国家の位置をもつ。そこで客体の側の自らをみる主体の構造が成り立ったのである。‪しかし至上なものが卑近なものを住処とすることは、至上なものとの同一…

能の仮面

気になったことだけれど、はずしてはならないという能の仮面。外したら、舞台に見えている集まってきた音楽の粒子たちを仮面にしているその仮面をどうやって聴くのかしら?

パルメニデス

One cannot know that which is not - that is impossible - nor utter it ; for it is the same thing that can be thought, that is https://www.facebook.com/photo.php?fbid=10217362326987745&set=a.10204437539556137&type=3 ‪ One cannot know that w…

ゴダール論

‪その時代その時代の要請に答える形で映画を作ってきた、ゴダール最後の野心は、ヨーロッパ文明を支えた形而上学と一神教との関係を、グローバル資本主義に抵抗する他者からの問題提起に答える形に変えていくことじゃないだろうか。そのために要請されている…

「日本語」

‪ ‪言語は思考を規定すると言われる。天下のものである水へのアクセスを所有することの意味はなにか?奪われているのは、所有化できない水へのアクセスだけか?言葉に定位する共同体の思考の天下的あり方も損傷を加えられようとしている。もっと問題は、近代…

西欧とアジア

映画のなかでしか見たことがないけれど、ニューヨークの自由の女神像はどこにも属するがどこの部分とならないものの象徴。最近床屋さんで教えてもらって知ったのだが、自由が丘駅前の広場にも、ひっそり立っている自由の女神像があった。自由が丘も戦災で荒…

MEMO

「東京オリンピック」はいらない。「固有の領土」もいらない。「大阪万博」もいらない ‪ マルクスの人類史的視点から語る視点を、アリストテレスに遡る共同体の倫理学に置き換えることの問題は何か?人類史の視点がなければ、国家を批判的に相対化する究極の…

帝国の問題

グローバル資本主義の時代の帝国は、軍事力支配の帝国主義と同じでないといわれる。帝国は経済と文化の力を以って支配する国家なのである。だけれど、帝国と帝国主義の間の差異に意味がなくなる決定的な境界線がある筈だが、軍事支配の不在によって、帝国の…

近代芸術

植民地の作家が成し遂げた近代文学の勝利は、植民地を持たなければその国はゼロに等しいことを教えた。近代芸術は獲得するために失う。つまり何かを獲得する為に伝統を失う。今日何かは原理主義ナショナリズム、愛国者の国家という宗教かもしれない。近代の…

ゴダール論

ゴダールは『右側に気をつけろ』でポピュリスムの問題を議論している。歴史は自ら編集するという『映画史』では歴史修正主義の問題を考えている。と同時に、そこで原理主義の他の道がないとする言説も批判していた。21世紀からはグローバル資本主義の問題を…