2017-09-01から1ヶ月間の記事一覧

'リベラル派' の自己定義

‪'希望'の意味はどうも謎ですね。自民党を二つ作る希望を揶揄したアイロニー?もしそうでないならば、東京が大嫌いな自民党に絶望を与えること、他方で、何がなんでも米国にくっついていくポチ安倍には希望を与えようという意味なのかしら?そして選挙後、与…

寸劇

‪「リベラル派を排除する」‬‪「それだけですか?」‬‪「原発反対派を排除する」‬‪「ほかには?」‬‪「マイノリティーを排除する」‬‪「ほかには?」‬‪「核武装反対派を排除する」‬‪「ほかには?」‬‪「弱い者を排除する」‬‪「安倍さんと同じじゃないですか?」‬‪…

寸劇

‪「リベラル派を排除する」‬‪「それだけですか?」‬‪「原発反対派を排除する」‬‪「ほかには?」‬‪「マイノリティーを排除する」‬‪「ほかには?」‬‪「核武装反対派を排除する」‬‪「ほかには?」‬‪「弱い者を排除する」‬‪「安倍さんと同じじゃないですか?」‬‪…

MEMO

‪自民党的なものの内部で、ファシズム「美しい国」と右翼極右翼「希望」との間でいかに票を分け合うかというだけの話でどうか終わらないようにと空しく願うだけですね。事実上社会民主主義の政党を潰してしまった対価をはらわなくてはいけないとはこういうこ…

「思想史家が読む論語」(子安宣邦著、岩波書店 2010年)

‪「思想史家が読む論語」(子安宣邦著、岩波書店 2010年)の副題は、「学びの復権」である。読むことができないことを知ることも学びだとわかる。そして学びが学びとして成り立つためには、行いを介して、信の構造と学びとが相補的に成り立つことがいわれる。…

反時代的に言ってそもそも希望に違和感をもちますが、同じく反復されるだけならばその希望にすら希望ももてません

‪漢字をとおして、どの時代が<前>で、どの時代が<後>なのかを考えることって大切だなと気がつきはじめました。「希望」は、明治以降に英語(hope)を翻訳して作った和製漢語だそうです。最初にそれを使った人を特定できるはずですね。この頃少しは明治の<前>…

和製漢語 「希望」

‪「希望」は、明治以降に英語(hope)を翻訳して作った和製漢語。最初にそれを使った人を特定できるはずです。この頃少しは明治の前の近世の漢字を読むようになったお陰で、「希望」は気持悪いです。そもそも和製漢語の近代はいかに'思考停止'をもたらすのか…

三木清

‪「私はいま人間の不死を立証しようとも、或いはまた否定しようともするのではない。私のいおうと欲するのは、死者の生命を考えることは生者の生命を考えることよりも論理的に一層困難であることはあり得ないということである。死は観念である。それだから観…

末法思想

‪末法の時代においては、"もう何も失うものがないからこそ、何かを獲得することができる"のか?そうではない。"もう何も獲得できないときにも、なにかを失うことはできる"。その"なにか"とは、半分死んでいるような半分生きているような過去のこと。現在は末…

溝口「雨月物語」を読む

溝口「雨月物語」を読む‪映像の美をたたえるしかないのか?否、教訓がある。溝口「雨月物語」のなかで描かれている教訓は、職人がただ身に帯びた武具だけで己が武士であると証明しようとしたら、それはもう世を知らないというものである。これはいかにも当た…

難民

‪麻生の難民に対するヘイトスピーチをきくと、日本会議の安倍政権のイデオロギーのことを思います。日本会議のイデオロギーの根底に、死んでいるのに、我々の内においても外においてもラジカルに発想の大転換をしようとしないために、いつまでも生きている「…

現在はファシズムか?

‪ファシズムは同じようには繰り返されないだろう。だから現在がファシズムであると断定できない。だが国が強制するミサイル避難訓練のように意味がなければないほどこの種の無意味に従うことが大きな意味をもつことになった。現在がファシズムであることを誰…

『仁斎論語』

‪子曰、如有王者、必世而後仁。「子の曰く、如(も)し王者有らば、必ず世にして後仁ならん」(孔子がこういわれた。もし王者が世にあらば、必ず一代にして仁をもってあまねく世を潤わすだろう」‬• ‪江戸時代とは、武士が支配した時代である。それは、仁斎のよ…

何が必要とされるのか?

‪必要なのは安倍政権によるナショナリズムの完成ではない‬。必要なのは安倍晋三氏のアジアへの共感必要なのは普遍主義の方向をもった対話危険なのは、宇宙空間なのに「日本上空を通過した」ミサイルでもなく、アメリカに近い「襟裳岬の東2000キロに着水…

20世紀思想が20世紀思想であるためには

‪20世紀思想が20世紀思想であるためには 20世紀の芸術と思想は、-ismで氾濫していると揶揄される。-ismである以上、-ismの間に共通なものはない。-ismは、20世紀のどこにも属するが、20世紀の部分となることはない 。懐疑主義・啓蒙主義・実証主義がそれぞれ…

理念の問題

ファシズムをあまりにも'わかりやすく'解説してくる言葉に一定の警戒をおぼえてしまうのはなぜか?「数学的思考」は世界をよく説明できるという。たとえば対象はトポロジー的思考からほとんど説明されてしまうという。「数学的思考は世界を構成する」という…

ネオリベラリズムのグローバル資本主義は、21世紀におけるファシズムの新しい知の形ではないだろうか

ネオリベラリズムのグローバル資本主義は、21世紀におけるファシズムの新しい知の形ではないだろうか。後期近代におけるファシズムの再定義がもとめられている。‪「討論を軸とする共通世界」がなくなるとき、「共通世界」の代わりとなるのは何か?貨幣が共通…

カント

‪『判断力批判』は18世紀終に書かれた、カントによる三大批判の一つで、目的の表象なき対象の主観的合目的性の形式について論じられる。美を論じるためには『判断力批判』からスタートできたが、なぜ、『純粋理性批判』(第一批判)と『実践理性批判』(第二批…

儒者とはだれか?ー17世紀を舞台化するために

‪儒者とはだれか?誰もそう思っていないが、わたしは儒者である。正確には、エピキュリアン系儒者(駅ビルアンではない!)。だが「儒者」が何者なのか正直知らないで、勝手にそう思っているだけである。「仁斎論語」を読みはじめた四年前、17世紀の京都市井の…

首相の解散権

首相の解散権というのは、なんとも時代遅れの感じですね。今回安倍首相が国会を私物化していると指摘されますが、その前提として、解散権を私物化しているようにみえます。解散に国会の承認が必要です。安倍首相が平気でやっている同じことをイギリスではも…

感想文 ー 東京演劇アンサンブルの『泥棒たち』(デーア・ローアー作、公家義徳演出)

‪東京演劇アンサンブルの『泥棒たち』(デーア・ローアー作、公家義徳演出)を観ました。ドイツの現在を伝えるこの芝居は、奇妙な、狼に対する畏怖と夢から始まります。思考できないものを思考しようとしているかのようなそんな始まりです。家族は解体していま…

観光資本主義

‪東山は、観光資本主義と排除ナショナリズムが同時に成り立ち得るということでしょうが、この関係を見抜けない?‪「最近は韓流ブームが起こり、韓国には日本人観光客が何十万人も行く時代になった。一方、高等学校の無償化から朝鮮学校だけが外されたという…

寸劇

‪寸劇 無知の避難所‬卑弥呼「宇宙空間までも『日本上空』としてしまうなんて、オホホホ、想像力ハッスルし過ぎです」‬ガリレオ「その通りです。宇宙空間に、『日本上空』なんてありはしませんよ(爆)」‬卑弥呼「... (隠している。やっぱりあるんだ!)」‬

『仁斎論語』

‪「徳行とは孔子の学の全体を意味する。それは言語・政事・文学の三者を兼ねている。どうしてこれを一科とすることができようか。他の三者も徳行に本づかなければ...」(伊藤仁斎、子安訳)。昨日からわたしはこの一文を繰り返し読んでいる。「全体」は「兼」…

大杉栄

‪1923.9.16の出来事を客観的視点で構成してみた、大杉栄について書いた小説をネットで流したとき、どう読むかは読む側の自由だが、憲兵大尉甘粕正彦を描いた小説と思う人達もいた。驚いたが、この読みは正直なのかもしれない。現在なお、「自由」といわれて…

「地下に逃げろ」と政府がいうものだから、地下茎で地底人として生きてきたわたしの領域が危うくなったじゃないか。仕方ない、更に地下に行って、最低人になるか

「地下に逃げろ」と政府がいうものだから、地下茎で地底人として生きてきたわたしの領域が危うくなったじゃないか。仕方ない、更に地下に行って、最低人になるか

‪無限<方向づけできない>は、‬‪世界<x,y,z,>を以て‬‪表現できるものではないけれど、‬‪cine-psychos-mos ‬‪<x、y、z、t1、t2、仮面ε、仮面ψ>‬‪ならばなんとか表現できるかもしれない。‬‪それはセリー(系列)‪集まるが、雑じり合わない‬‪単純に、相い続いて絶えない‬</x、y、z、t1、t2、仮面ε、仮面ψ></x,y,z,>

‪無限<方向づけできない>は、‬‪世界<x,y,z,>を以て‬‪表現できるものではないけれど、‬‪cine-psychos-mos ‬‪<x、y、z、t1、t2、仮面ε、仮面ψ>‬‪ならばなんとか表現できるかもしれない。‬‪それはセリー(系列)‪集まるが、雑じり合わない‬‪単純に、相い続いて絶えない‬</x、y、z、t1、t2、仮面ε、仮面ψ></x,y,z,>

退廃美術展

‪ベンヤミンはナチスを芸術の政治化といった。だがナチスの芸術をさがしてもそれほど意味がないだろうと思う。ナチスはシュールレアリズムを通じて表現を得た芸術それ自体をゴミとみなしたのではないか。退廃美術展はゴミからはゴミしか生まれないことを示し…