東京演劇アンサンブル公演、ホルバート作『行ったり来たり』の感想文

東京演劇アンサンブル公演、ホルバート作『行ったり来たり』の感想文

ーなぜかくも多くの言語と宗教と民族が存在するのか?境界線の他者を理解すること

 『行ったり来たり』のポスターの原画を描いた本多敬です。今回は自分の作品が舞台美術の主要なイメージにも採用されて、光栄に感じています。

 この絵は、ロンドンに住んでいた時に、パレスチナの子供のことを考えて描いた作品です。イスラエルは壁を作って、アパルトヘイトを押し進めたのですね。こんなものを作られては、パレスチナ人は自分たちを罪人に感じるでしょう。なんとか壁を越えることができないか、という希望について考えながら描きました。
 原画には水の分子を描いています。水の分子に成って壁を通り抜けられないかと考えてみたわけです。
 そして、小説『波』の作家ヴァージニア・ウルフの横顔とフランソワ•トリュフォー監督の映画『野生の少年』の少年の姿を描き、言語の限界は私の限界であるのは何故だろう、ということについて考えました。わたしを構成する分子たちが言語を利用してアイデンティティの壁を通り抜けるからだろう、と。
 わたしは、子供はどのようにしたら彼方に行けるのだろうかと考えていました。そのことを思い出しながら壁の絵を見てみると、壁が劇場のカーテンのように描かれていることに気づきます。そして、子供は俳優へと転身します。役者にとって観客は欠かせません。観客も役者が必要です。子供が壁をカーテンに変えて、他者と出会うことを大人は助けてあげるべきなのです。

 現代アラブ文学・パレスチナ問題研究者の岡真理先生の楽日講演後のお話にありましたように、なぜかくも多くの言語と宗教と民族が存在するのでしょうか。それは、境界線の他者を理解するためではないでしょうか。

 この絵を描いた時期に重なりますが、イギリスが米国主導のイラク戦争に加わったことに、わたしはショックを受けていました。同時に、オーストラリアで過ごした子供時代を思い出していました。ちょうどベトナム爆撃の時期で、オーストラリアの参戦が要請されました。白豪主義を乗り越えて迎えた新しい時代だったにも関わらず、中国を含むアジアを敵とみなす嫌な空気と友達の私を憎むような眼差しを思い出して、わたしは喋ることができなくなっていました。
 そのときに描いた絵を東京演劇アンサンブルが今回の公演に使っていただき、舞台を構成するこの壁のイメージの前に俳優たちを通じてさまざまな声たちが聞こえたことに驚きました。声が復活したのです。

 この戯曲の舞台であるオーストリア=ハンガリー帝国は多民族で成り立つ不安定な文化多元主義の帝国でした。オーストリア=ハンガリー帝国は、脱領土化の<多>と帝国的<一>との矛盾で構成された、多数の入口があった帝国でした。精神分析フロイト、物理学のアインシュタイン、文学のカフカ言語学のヤコーブソン、音楽のシェーンベルクのそれぞれの仕事や作品に帝国を抽象化した高い精神がありました。いわゆる前衛精神があっちに行ったりこっちに来たりしていたのです。しかし全体主義的同一化のナチスによって、すべてが抑圧されました。ドイツ演劇を含む芸術家はオーストリア=ハンガリー帝国をどのように考えたのでしょうか。

 『行ったり来たり』という作品は、なぜかくも多くの言語と宗教と民族が存在するのかという問いを喚起し、境界線の他者を理解することの意味を考えさせます。
 そして、カフカの『変身』について考えました。この小説では、境界線の他者(毒虫)の存在を当たり前のように語ることから始まり、家族は衝撃を隠します。兄を境界線の内側の他者として捉え共感を持とうとするのです。カフカはどうしてこんな小説を書いたのでしょうか。境界線の内部の「われわれ」だけを語っていればよかった此方には、異文化との交流によって育まれていく喜びも成熟もないことを伝えようとしたのではないでしょうか。
 
 このように考えてみると、この作品は日本の現状を映す鏡のようにもみえます。現政権の応援団である日本会議の主張では、この30年間、起源すなわち境界線の内側の「われわれ」だけを語っていればよいと訴えることによって互酬の様相を呈したヘイトスピーチが展開され、異文化との交流によって育っていく喜びと成熟を拒むことが叫ばれ続けました。
 しかし、作品の中の国境を挟んだ二国の総理大臣同士の関係が示すように、支配者たちはお互いを必要としているにも関わらず「われわれ」自身(our own self )でやっていこうとする体制をとることは、茶番以外の何物でもありません。敬