2019-01-01から1年間の記事一覧
Chaosmos of Alle 万物のカオス(コス)モスーFinnegans wake James Joyce映画というのは、方法としての神話だ。フレームは操作による(世界の)変形だ。フレームのなかに世界をとらえようとすると、世界は全体であると同時に枠づけられた世界は部分である。全…
アジア思想を考えるとき、絵画における場合と同じように、点は四書の解釈のあり方を再構成する朱子学と『論語』に帰る古学であるが、点が線を作るのではなく、逆に、同一性と差異性の線のほうが脱領土化した点を巻き込み、外への作用に駆り立てる。外部の思…
「祀られる神」のほかはだれもはいることが禁じられている部屋は果たして存在するだろうか?禁止を破って部屋に入ったら、そこに「祀る神」がいたというんだね。そこでこそ「私」無き「公」の「大御心」が成り立つ。だがこの話はおかしくないか?だって部屋…
映画というのは、方法としての神話だ。フレームは操作による(世界の)変形だ。フレームのなかに世界をとらえようとすると、世界は全体であると同時に枠づけられた世界は部分である。全体は全体である。全体を部分にすることができないのだから、これはフレー…
講座『大正を読み直す』のときに彼の名前をはじめて知ったとおもっていたが、そうではなかった。忘れていたが、思想の歴史に関心があったがどう勉強していいのかわからなかった学生時代に、津田左右吉の本を読めと父に言われた。そのときは何か彼をとらえて…
コッポラを称えるアメリカ人観光客が地図を携えて第三世界を旅行するときはいつどこでテロに襲われるかわからないという『地獄の黙示録』のなかにおいて描かれたような恐怖をもって歩いているのだろう。映画がやれることは少ないが、それ以上のことを伝える…
フーコ『言葉と物』の序文と第十章が重要な理由は何か?ラテン語の「世界という散文」よ、さようなら、と、西欧はそれ自身からの異別化を行った。近代はそれによってヨーロッパ中心主義へ行く。形式化された普遍言語を切り開く。この知は地球の隅々までを支…
「不条理が列挙された物々の分けられる場所である<なかで>を不可能にすることによって、列挙される<と>を崩壊させてしまう」ー フーコ『言葉と物』序章(本居宣長が「天」を「あめ」と読ませてそれがなんの意かわからないと注釈しだが、このやり方は<なかで…
フクロウ猫、憲法の憲法を書く<第一条>何人も自己のまわりに明治維新の近代国家に先行した権利ー漢字と仮名をもつ権利ーを音声化から奪われない。目に見えない排他的境界線を他者中国との間にひくことを拒む権利をもつ<第二条>何人も顔を隠す権利を…
「クーオク万歳三唱」「クーオク万歳三唱」という文が『フィネガンズウェイク』にあった。「quoi? quoi? quoi ?」と万歳するカモメのマーク王はいったい何を万歳するのかさっぱり分からぬとジョイスは嘲笑った。ここでジョイスはアイルランド独立運動の起…
<社説>天皇即位の儀式 権威高める手法に警戒を「大戦前の即位儀式は、天皇の権威を内外にアピールし、国民の崇拝意識を高め国威を発揚する狙いがあった。沖縄は天皇の権威の犠牲になる歴史を歩んだ。琉球併合に至る過程で、明治政府は、中国皇帝が琉球国王…
普通選挙と文化多元主義と権力分立の危機のなかであらわれてきた日本人という単一民族の幻想、ある国家でしかないのに日本国家しかないとする幻想(「ラグビーは日本を応援するのは当然でしょう?」という言説)。これらのことは、近代が自ら、国家の宗教性に…
台湾語の『非情城市』(日本公開 1990)までは台湾映画は全部ふきかえ(北京語)だったということの意味をよく理解するためには、十年後にアイルランド語ではじめて作られた映画を見なければならなかったのです。アイルランド語が台湾語に対応するというような単…
注釈を超える注釈とはなにか?宣長は「神」を「シン」と訓むべきことをいう。なぜか?そのことによって何が問題となってくるのか?先ず本居宣長が行ったのは神話の注釈である。神の道を解釈した。そこで宣長は体言と用言をめぐる中国語と日本語との言語的差…
2022年『ユリシーズ』出版100年を前に、ジョイスとノラの遺骨をスイスからアイルランドに送還するという話があるそうです。ジョイスは自分で決めた亡命でもうそれっきりアイルランドに帰ってこなかったのです。『ユリシーズ』波乱万丈の人生の最後は、アイル…
2022年『ユリシーズ』出版100年を前に、ジョイスとノラの遺骨をスイスからアイルランドに送還するという話があるそうです。ジョイスは自分で決めた亡命でもうそれっきりアイルランドに帰ってこなかったのです。『ユリシーズ』波乱万丈の人生の最後は、アイル…
ポストモダンにおける差異の肯定も、モダンにおける差異の否定(つまり否定の差異)も、「哲学の根本問題」の思考において、分節化されることが無いのよね、このことが西田において理解されていないというか、もちろん理解しているのだろうが、読者に対してあ…
廣松の『ドイツイデオロギー』の文献的解明がどうしてそれほど大事なことなのかよくわからない。イエニーのことも触れるが、まるでブルジョア作家が「忠実な」妻にタイピングさせたぐらいのことでしょうと言っているようなものだった。結局彼がやっているこ…
何人も顔を隠す権利を奪われない。マスクの権利は21世紀に必要とされる人類の権利である。われわれの顔の下にあるだれかわからない仮面も保障されるべき
ドイツ語のGeistを漢文エクリチュールの「精神」と読んでも意味がわかる。これは解釈の厚さによってではないだろうか。ヘーゲルの「精神」もマルクスの「労働」も解釈の厚さーものーから成立したと考えてみたらどういうことが言えるだろうか。構造主義の科…
何十年前のことだが、大学時代に、元最高裁判事のOBに原稿の執筆をお願いした。このかれは判決のことか、何か新しい学説でも書いてくるのかとおもっていたら、旅行で見学した香港の裁判所について書いてきた。なぜ香港裁判所を知ることが大切なのかとさっぱ…
この一年間、12世紀の朱子学の文を一緒に読んでもらっている。18世紀の本居宣長が聖人と鬼神についてこういうことを考えて書いていたのは、随分最近のことのようにかんじる。とくにいまの時代でなければ、問題意識をもって読むことはなかったとおもう。理念…
ラディカルモダニズムにおける外部思想の否定的差異化の意味は、ラディカルリベラルの肯定的差異化からはじめて明らかになるとおもわれる。外部の肯定的差異化は、ラディカルモダニズムの言説<言語の消去としての近代化>に絡み取られず、死に切った過去の言…
目に見えない素材とリズムを以って他者を描く=書くピカソにおけるマネの‘草上の昼食’の解釈は、バベルの塔の崩壊の後の人間の文化において不可避なものを問うたと私は思う。文化を無意識の情動の上に築こうとするが、再びファシズムに絡みとられずに、情動…
<ラジカルなモダニズム> は何か?トータルに、全的否定的に、思想性なき広がっていく豊穣さに宿るのか?‘バベルの塔’は古代帝国の高度な建築術と都市の多言語的多様性の勝利であった。それを憎んだ共同体ナショナリズムが「悪名高い」’塔’崩壊の伝説を物語っ…
『タクシードライバー』(1976)『キング・オブ・コメディ』(1982)どちらの作品も、マーティン・スコセッシ監督のStorytellerならではの映画ですね。ロバート・デ・ニーロが主演。ポール・シュレイダーが脚本を書いた『タクシードライバー』は、不眠症の人が時…
「われわれ物を解釈するよりも解釈を解釈するのに忙しく...」解釈の解釈はなんのために行われるのか?それは、読む人間が依拠できる究極の原初的テクストの存在をもとめているとする説明がある。朱子学の言説から言葉を奪回しようとして、注釈の任務を通じ…
アイルランドからヨーロッパに出たジョイスの’自分で決めた亡命’ self-imposed exile を読みとれる一文。亡命といっても、1920年代のパリの知識人と芸術家たちの亡命とは随分ちがう。アイルランド人は英語を教える日雇い労働をさがしてやむを得ず国外を出る…
「戦後の日本は物質的に豊かになったが、代わりに失ったものがある」という言説に対してなみを言うか?たしかに失いました。朝鮮戦争とベトナム戦争によって物質的に豊かになったという、他国の不幸を犠牲にしてしか豊かになれなかった恥ずべき記憶を失いま…
storytellerとは何か?戦争の経験は語られるけれど伝わらない。戦争をもたらした帝国主義のことも伝わらない。帝国主義ヨーロッパからは目には見えない国家があった。植民地を持たぬ国である。況やおいて植民地された国はゼロである。そこから、いかに自己…