2019-04-01から1ヶ月間の記事一覧
ゴダールの『JLG/自画像 』(autoportrait decémbre 1995) ゴダールの78年からの映画復帰はウィットシュタインの哲学界への帰還に喩えられる。この7年後の1985年に、ゴダールは思考手段としての映画の意味を語っている。以下、ゴダールの言葉。 自画像、…
ゴダールの『女と男のいる舗道 』(Vivre sa vie 1962) ジャン・ドゥーシェは、溝口健二監督の『赤線地帯』(1955年)の影響なしには本作は存在しないと指摘しているという。アンナ・カリーナの渾身の演技をみよ。ゴダール映画はアンナ・カリーナがいなければ…
ゴダールの『小さな兵隊』(Le Petit soldat )は、1960年に製作されたが、検閲にあった。1963年に公開された。ゴダールはいう。 『小さな兵隊』は、鏡のなかに映る自分の顔が、自分の内面に思い描いている自分の顔と一致しないことに気づく男の物語である…
ゴダールの『コケテッシュな女』( Une femme coquette 1955) ギ・ド・モーパッサンが1886年に発表した短篇小説『Le Signe 合図』を原作にした映画。
ゴダール『シャリオットとジュール』( Charlotte et son Jules 1958) 路上に置かれたクルマのなかでシャルロットを待つ彼氏を撮影しているが、ほかはひとつの部屋のなかで撮られている。映画とはなにか?映画とは幻想としての芸術であり、映画ではない文学と…
『怠惰の罪』La Paresse (episode in Les Sept péchés capitaux) 1962 ロッセリーニが怠惰だったかは知らないが、物語的語りに重要な意義を与えない怠惰な人間こそは、たたえられるべき視覚的人間である。『怠惰の罪』は視覚的人間が映画を作った映画だ。…
ドウルーズはいう。「ゴダールはうまいことを言っています。『正しい映像ではなく、ただの映像さ。』哲学者もこんなふうに言いきるべきだし、それだけの覚悟をもってしかるべきでしょう。『正しい理念ではなく、ただの理念さ』とね。」(『記号と事件』) ト…
ゴダールの『勝手にしやがれ』(À bout de souffle 1959 )は古典となっている作品だ。古典となったという意味は、作品がどう語られたのかをどう語るのかという視点が問題となるということだ。『勝手にしやがれ』については、確立された映画の文法のなかで…
ゴダールのメイド・イン・USA』(’ Made in USA’ 1966 ) 「世界を創造する」というブルジョアが作った都市はなんと生きにくいのか、かくも疎外されているのだろうか。アナキズムの芸術はブルジョアと共有するものがなにもない。彼らの世界にたいして妥協…
ゴダールの『男の子の名前はみんなパトリックっていうの』(Charlotte et Véronique ou Tous les garçons s'appellent Patrick 1957) ロメールが脚本を書いた、ロメール的ゴダール。この時代のゴダールは、政治的コミットメントからの離脱、大義の忘却、…
美術館の一室で貴族の肖像画の前に立ったときに覚えるような昨日今日のこの虚ろな感じときたら?一体何だろうな?此方(見ているもの)に対して全く関心をもたぬ冷たい視線を一生懸命理解しようとするから起きる拷問を受けるような疎外感である。愛していない…
ゴダールのコマーシャル (On s'est tous déflié 1988) 街頭を歩く女性達のリズムを意味づけるために、その映像とロココ絵画の女性の映像を交互に組み合わせた。ギリギリ理念的なものを喚起している?運動と音と言葉が必ず一緒に増える(一緒に減る)とい…
ゴダールの商業コマーシャル (Closed 1988) 発想の大転換。中国系モデルが脱いで下着姿になる映像を逆回しで見せた。服を着たのである。女性の” Amour “というナレーション。MOMAの回顧展で観た人の話によると、一緒に “Amour “と叫んでいた観客もいたと…
ゴダールの『離れ離れに』(Band à part 1964) 国家の力は芸術作品をどれくらい所有しているかによるといわれるように、美術館は美術館以上の意味をもつこの問題提起は政治的なものである。しかし『離れ離れに』では政治が語る歴史への関心から遠ざかって…
ゴダールの『女は女である』(Une femme est une femme 1961) 1960年は50年代の映画から来たようなどこの国の話か曖昧なコスモポリタンの暗闇が残っていただろう。昔、『アルファヴィル』のそんな世界に浸ろうと深く腰かけていたら、1メートル横で照らさ…
ゴダールのビデオ『ソフトとハード』 (Soft and Hard 1985) ゴダールは鏡を見ずに髭を剃るらしい。「顔を見たくないし、髭の場所も分かっているから」とアンナーマリー・ミィエヴィルにたいしていう。彼女は言う。「コミュニケーションの映画ですって?…
『ふたりの子供、フランス漫遊記』(France tour détour deux enfants、1979) ゴダールはテレビとの関係改善に努めているらしいが、まさかテレビで活躍する教育者を読み取る人はいないだろう。ゴダールは、「子供というのは政治的囚人である」という。偽造…
ゴダールの『映画というささやかな商売の栄華と衰退 』(Grandeur et Decadence d'un Petit Commerce de Cinema 1986) ゴダールは長年にわたってコミュニケーションが依拠できるものを探求してきたが、再び映画の芸術における尊厳をいうことになった。ゴ…
ゴダールの『映画史』( Histoire(s) du cinéma 1A 1B 1988 ) の構想は、ラングロワが死んだ年である、1978年のモントリオールでの講座に遡る。『映画史』の課題は、思い出すこと。思い出されるのは、ひとつの歴史ではなく、現在を批判的に相対化する他にあ…
世界史的に言って、伝統を完全に断ち切った近代化ー議論を否定したクーデターの暴力によるーは、明治維新の近代のほかに例がない。この異常な近代化は明らかに失敗したのに、まだ明治維新が成り立たせた国家に益々隷属していくばかりで抵抗できないでいる。…
ゴダール『勝手に逃げろ』(Sauve qui peut (la vie) 1980) 言語的存在である人間にとって、父の名(”ポール・ゴダール”)を構成するものはなにか?至上な天の父と卑近な世俗の父との埋まらないギャップ?ゴダールは、第三のイメージとして、人間不信に陥っ…
『ジェーンへの手紙』(Letter to Jane 1972) では、ベトナムのジェーン・フォンダの写真を問題にした。「表象行為のなかには剰余価値が作用する契機は存在しないだろうか?」映画が映画としてあるために、内省の力とイメージにおける抵抗のあり方が問われる
ゴダールの『ウイークエンド』(Week-end 1967 ) 永久だとおもっていたのに束の間だった映画の命の終わりを告げる黙示録。だれのものかわからない埋葬されぬ死体たち、火炎、戦争、目覚めることのできない悪夢。
ゴダールの『万事順調』( Tout va bien 1972) ジェーン・フォンダが友情出演した『万事順調』は、テレビ局のストライキを舞台にしている。はたして個人は、集団の声のテロリズム(フランス共産党と労働組合)から、匿名化されている自分の声を取り返すことがで…
ジガ・ヴェルトフ集団の『ウラジミールとローザ』( Vladimir et Rosa 1971 ) 「滑稽」とされるこの映画は、黒なき黒のイメージについて語っていた。黒なき黒のイメージとは何か?嗚呼禅問答みたいでわからないということもあって、かえってなんか気になって…
ゴダール「プラウダ」(Pravda 1969) 三十年代のスターリンとヒトラーの接近は、東欧の活動家達の粛清をもたらし、左翼から右翼までの知識人が連帯した人民戦線を崩壊させてしまったが、戦後も、ソビエトは左翼のオブセッションとしてあり続けたので、サル…
Facebookは映像を必要としている。わたしは書くためには映像を必要としている。これとは反対に、ハリウッドのシナリオと同じ感じで、国家における映像との関係は、国家は映像を集めるために言葉を必要としているようにみえる。コインに刻まれる皇帝の顔、紙…
『東風』( Vent d'est 1969 )は、ハリウッドと修正主義、西欧とブルジョア的表象を非難する。映像と音への過剰な依存もブルジョアが生み出した多元主義がする幻想であるとして批判される。映画は何が疎外を形成するのかを明らかにすることによって、資本主…
『イタリアにおける闘争』( Lotte in Italia 1969) は、ゴダール、ジャン=ピエール・ゴランらが「ジガ・ヴェルトフ集団」の名で製作した。映画は最後まで、ブルジョア出身の女子大生の矛盾を抱えた抑圧された感情と共にある。映画は思考をともなった表象を…
『イタリアにおける闘争』( Lotte in Italia 1969) は、ゴダール、ジャン=ピエール・ゴランらが「ジガ・ヴェルトフ集団」の名で製作した。映画はずっとブルジョア出身の女子大生の矛盾を抱えた抑圧された感情と共にある。映画は思考をともなった表象をもた…