2019-01-01から1ヶ月間の記事一覧
ポストモダンの時代にアウシュビッツの意味をどう考えるのか 日本のデリダ系の哲学者は原発や沖縄の問題、靖国の問題について積極的に発言する。勿論そのこと自体は評価されるべきこと。だが、哲学を信用していないわけではないだろうが、翻訳言語で考える…
Rembrandt, The Return of the Prodigal Son (c. 1661–1669. 262 cm × 205 cm. Hermitage Museum, Saint レンブラントの『放蕩息子の帰還』。イメージとタイトルとのギャップがなんとも面白いですね、これは皮肉のきいた大袈裟なタイトルじゃないかとニヤッ…
のポストモダンの時代に、神を考えることの意味は何だろうか?設計された建築物ならば解体できぬものはない。近代の神も、建築物と同様に、言説のパッチワークによって設計された。思想史的にいうと、言説Aの領域から切り離す、と同時に、他の言説Bの領域…
講座「明治維新の近代」が始まった去年は聖徳記念絵画館に行った。今年は「遊就館」へ行く。入り口付近はロンドンにある戦争博物館ふうと思ったが、塹壕の模型といったような悲惨の展示はない。靖国神社の前身である東京招魂社の鳥居に集まる人々の一枚の…
高校の世界史年表なんだけどね、貴族は知の権力も含めて王を圧倒する権力者として存在していたのだけれど、「応仁の乱」の時代に、ヨーロッパは百年戦争が終わっていて、東西ともに貴族の没落が始まることがわかる。ヨーロッパの普遍的国家理念(神聖ローマ…
大革命の前後に大きな二つの神話が生まれた。その一つは国家化された医療で、いわば身体に奉仕する聖職者というモデルに従って作られる。第二は健全な社会を建設すれば病というものは一切なくなるだろうという考えだ。この二つは同形のもので、いわばネガと…
土曜日は府中へ、何十年ぶりだな。面白く能の舞台『国栖』をみた。今回も色々な感想をもった。天武天皇が登場する話に追う-追われるの二重化をみるが、そうして表現されている生死をめぐる元号的蘇りの神話的想像力に、亡命というものがあるのだろうか?中…
物資がどんな記憶をもっているのかを描くタルコフスキー映画。水というのは、宇宙飛行士が来るのを待って彼を利用して記憶を紡ぐ。今朝布団の中で考えた。漢字も読んでくれる人を待っていると考えてみたらどうかと。漢字は読む人に記憶がなくとも彼の前で18…
名づけられることよって制作が可能となる。立憲民主主義の名は時代の要請だったから反復とはいわれなかった。新しく何かを制作するのだろうと期待があった。だがその伊勢神宮参拝を見るとグロテスクな反復といわれても仕方ないだろう。戦前のファシズムと対…
幻想が幻想をうむBrexit 宇宙の劇場には民が立つ依拠地というものがあったが、現在起きている巨大な劇場は、民にとって停留する港がないと形容すべきような悲劇である。ポピュリズムが舵をとっているような、幻想が幻想をうむBrexit。幻想のなかで過去の…
子安宣邦氏の講座<明治維新の近代・8> 「天命の自由」と「人義の自由」 ー 中江兆民『民約訳解』を読む・2 (1) ルソーの原文 Ce passage de l’état de nature à l’état civil produit dans l’homme un changement très rémarquable, en substitua…
68年の近代を問うた運動によって、文学が主導するポスト構造主義が成り立つ条件ができた。しかし思想の受容となると、それを翻訳言語を以って考えていくことは難しい。ある思想を自分のものにするためには自立的言語が必要である。だから近代の政治的災…
17世紀からヨーロッパの市民たちが芸術批評を読みはじめるのですね。17世紀というのは、ヨーロッパだけでなくアジアも外へ出て行く時代。17世紀に向かって明の崩壊の理由のひとつに李氏朝鮮への出兵がありました。これについては昭和思想史研究会の懇親会の…
68年ともオキュパイ運動とも違う黄色ベスト運動の映像を見ていると、なんか、『監獄の誕生』の囚人の絵を思わせる。マルチチュードが残っているとはこういうことか。まるで中世騎士の決闘もある。農民の国アイルランドだと警官たちが親戚友人がお餅のように…
https://www.instagram.com/p/BsU14WegecB/?utm_source=ig_share_sheet&igshid=5jfgsv1xqp14 東でも西も17世紀の書記言語は河の流れである。 海の底の闇から光の領域へ上に行くためには 太陽に向かって昇る翼をもたなければならない。 再び闇の中に輝く方ヘ…
安倍首相だけでなく野党指導者たちが伊勢神宮に参拝しに行くようになった意味は何でしょうか?たとえ護憲ではやって行けなくなったとしても、それならば、もはや戦後の国家祭祀をやめたとする誓いに依拠するしかないじゃありませんか。立憲民主党は敗戦後の…