2016-03-01から1ヶ月間の記事一覧
テクストと信と他者 ー Godard ゴダールは映画が終わったときに映画をつくり始めたというが、そうでしょうか?本当は、逆に、ゴダールが映画をつくり始めたから映画が終わってしまったのではなかったでしょうか?音声化された文字(シナリオ)に、映像と音が…
廣松渉「相対性理論の哲学」(1986)を読む ▼学生時代の労働法ゼミにおける私の眼は、マルクス経済学という俗物の眼から隠され、眩暈が起きるような死語化した漢語に蔽われている祭壇のような神聖な本に向けられていました。嗚呼、廣松渉とはだれだった…
どの人も学ぶ権利をもつ。「論語」の学びから語り始めた画期的視点を、しかし朱子学的な大義名分論は生かしているか?仁斎の朱子を脱構築したラジカルな読みとて、この封建時代の支配的教説との衝突を避けた。だが、「論語」にかぎらないことだが、テクスト…
伊勢神宮の意味を問う旅ー沈黙する映像と盲目の言葉 ▼沈黙する映像。飾り気のない素朴なイメージがあるのですけれど、しかし意外にもこの建築物の装飾性は歴史的に、室町時代の大きな影響をもつといわれています。だがそれを確かめようにも立ち入り禁止。こ…
浅田彰「構造と力」(1983)を読む 今日、本屋に立ち寄ったら、浅田彰「構造と力」をみつけた。54刷を数えるとは、読まれ続けているんだな、素直にすごいことだとおもった。「構造と力」は当時どのように読まれただろうか、殆ど同時代だったので、よく…
グロテスクなものを称える 「正常で健全な人間」ならばゆるされないという政治批判の仕方ほど、フーコが警告していたような、<正常化の権力>の内部に絡みられた言説を構成してしまうのではないかということですね。質問を受けても答えらなかった事柄なので…
西欧の文学を外国人の頭で読んだときと日本人の頭で考えるときのこの二つの間の距離について考えることが大切といわれますよね、この差異の問題については、自分にはいつまでもはっきりと書けるようにはならないと思うのですが。▼とにかく、この距離の問題に…
「ファシズム前夜ってなんだ?」 「いまだ!」 ▼朝日新聞(2016年三月二十二日)の三面に、「改憲へ 安倍政権と蜜月」と題した、日本会議研究ー憲法篇(上)の記事がありました。▼日本会議によると、第2次安倍政権の発足後、首相が日本会議の公式行事に…
▼わたしが高校生だったときの倫理教科書は、最後を飾ったのは実存思想の哲学者サルトルでした。「もういちど読む倫理」(山川出版社 2011年)を読みますと、「西洋の近代思想」の最後は、大学生のときに読んだドゥルーズ&ガタリのアンチ=オィデプスのポスト構…
デュラス「インディアン・ソング」(1973)を読む アーレントは「人間の条件」(1958)を書くためには、どうしても「全体主義の起源」を書く必要があったのでしょうね。そこで、Solitude(対話する自己自身をもつ)とLoneliness(大勢の他人の中で孤立していて自己…
「江戸思想」と「昭和思想」 といわれるとき、この「と」の意味が大事ではないかとおもいます。いかなる「と」(and)なのか?「もう一度読む倫理」をみると、精神の平等を言った石田梅岩の名も、そこから他者を敬うことの意味を言った中江藤樹の名も書き記さ…
柄谷行人「可能なるコミュニズム」(1999)を読む ここで二冊を比較してみようと思います。「不均衡動学の理論」はバブル期の80年代に書かれました。「トランスクリティーク」結論が収められている「可能なるコミュニズム」の方は、バブル崩壊後のグローバル資…
ファシズム前夜はどんな光景なのか? 日本だけでなくアメリカも、過去のヨーロッパのファシズム前夜を喚起するという憂慮の声がきかれます。ファシストの心の中心から洗脳してくるその手口に、非政治化(depoliticization)、教説化(deep indoctrination)、包…
悪夢を読む ーファシズム前夜の日米比較 大統領選挙のアメリカは現在、トランプ共和党候補に大きく揺さぶられていますが、これを観察するチョムスキによると、かれの登場はネオリベの必然的結果だとみたうえで、過去のヨーロッパのファシズム前夜を喚起する…
A LEFT WITHIN THE PLACE OF NOTHINGNESS ▼日本左翼が定位する内部的な無の場所、というような意味をもつタイトルのこの論文は、当時読んだときは西田哲学を呼び出すような衒学的な感じがして嫌だったが、それは私がまだ社会民主主義の一定の影響力があるヨ…
岩井克人「不均衡動学」(1989)を読む▼マルクス「資本論」をシェークスピアを通して分析した、経済学者・岩井克人氏の「ベニスの商人の「資本論」」に到底及びませんが、最後の審判の日の「不均衡動学」というような切り口で、演劇というものを経済学批判の視…
▼溝口雄三「方法としての中国」(1989) の<前>になにが語られていたのか、そして「方法としての中国」 の<後>になにが語られることのなったのかをみることによって、溝口氏においてはじめて語られることになったことについてなんとか考えてみようと思います。…
感想文ー東京演劇アンサンブルのホルヴァート「最後の審判の日」(1936) ▼「最後の審判の日」(1936)の上演を、2016年の日本で行う意味はなにか。演出家の公家義徳氏が現代社会のストレスやヘイトスピーチの問題との関連性に言及していた新聞記事を読んだので…
魂よ、自由であれ!魂は、類似ないし等価物の領域に属していない! les âmes ne sont pas du domain de la ressemblance ou de l'équivalence! work by takashihonda
とつぜんあらゆるものは意味をやめる あらゆるものは病んだ空の赤い雲のやうにあきらかに自らを恥かしめて浮動する わたしはこれを寂寥と名づけて生存の断層のごとく思ってきた わたしが時間の意味を知りはじめてから幾年になるか わたしのなかに とつぜん停…
時枝誠記「国語学原論」(1941年)を読む ▼時枝誠記は、ソシュールの言語理論を批判し、独自の言語観に基づき、言語過程説を唱えました。言語過程説は、言語を「もの」ではなく、人間の表現活動であるとみる言語理論です。ここでは、非専門家の私の関心ですか…
柄谷行人『マルクスその可能性の中心』(1978年)を読む 「われわれには、反復は代理されえない(かけがえのない)ものに対してのみ必然的で根拠のある行動になるということがよくわかる。行動としての、かつ視点としての反復は、交換不可能な、置換不可能なある…
日本近現代の思想史は大変面白いのです。だけれど、個別的に、近現代の思想を読むとき、それは、日本近世の思想と比べて、非常に貧しいという印象をどうしても持ってしまうのですね。この印象はなぜ起きるのか?▼はっきりとわかりませんが、200年ぐらいの歴…
「今、平和を語る」?柄谷行人は「120年周期」の予言しかしていません。そこで帝国間の平和を予言します。でもね、彼の予言に従うと、未来は帝国形成に至るヘゲモニー国家の争いだけか?柄谷が語らぬフランス革命が齎したもう一つの側面、市民の政治化が…
「シャルリとは誰か?」 「私はシャルリだ」と言っている間抜けは我々にとってさして面白くありません。スプーンを口にもっていく代わりに、おでこにもっていくような人間のことで、こういう人間になにを言っても通じません。いわば審理の終わった件です。「…
思想史が読む萩原朔太郎 ▼書店の棚に、関東大震災の話題をのぞいて、大正の本をあまり置いていないようですが、明治の巨人と昭和の巨人のあいだにはさまれていたかのように大正はそれほど存在感がない?しかし重要な事柄はみんな、大正のときにおきてきます…
なぜ大江文学は読めないのか?ーいま「個人的体験」(1964)を読むことの意味は何か 大江健三郎の代表的仕事のひとつである「個人的体験」の<前>になにが語られていたのか、そして「個人的体験」の<後>になにが語られることのなったのかをみることによって、大…
レヴィ=ストロース「野生の思考」(1962)を読む レヴィ=ストロースは、構造主義の中心的人物として人類学の分野をこえ、一般思想界にも影響を与えているが、かれの代表的仕事のひとつである「野生の思考」の<前>になにが語られていたのか(サルトル) 、そして…
日本古典を読む喜び 日本近現代の思想史は学んでみると大変面白いのです。だけれど、個別的に、近現代の思想を読むとき、それは、日本近世の思想と比べて、非常に貧しいという印象をどうしても持ってしまうのですね。なぜでしょうか?わかりませんが、200年…
Ireland thinks the unthinkable ▼あれ?思考不可能なものを思考するというフーコか、ゴダールについて語った記事とおもったら...▼アイルランドの選挙結果は、銀行不良債権救済と緊縮財政の中道右派政権党を罰した形となったが、中道右派の大敗北を意味した…