2017-08-01から1ヶ月間の記事一覧
麻生大臣は、人類に対する戦争犯罪として構成して考えるべきヒトラーの問題を、政治家個人のパフォーマンスの問題(何々が利得、何々が損失、バランスシート的にはどうか?)に還元してしまうのだろうか。彼は人類にたいして答えなければならないだろう
The practice of micro-politique, awaking the Kant's "the faculty of practical reason", is indispensable to the Deleuze's concept <body without organ>;Imagination without totalitarianism, faculty of Reason imitating one of Imagination , multitude without repre</body>…
中心というのは、支配的言語をもっている。周辺の文学と思想はその言語を以て独自の発展を展開してきた。ところが中心は自らの普遍主義の立場からそれを間違いとしてしまう。例えば、イギリスという中心からは、文学はリアリズムかロマン主義かである。イギ…
天道、道猶路也、人之所以、往来通行也 (道は猶路のごとし。人の往来通行する所以なり)井筒『意識と本質』を念頭におきながら読むと、道が道である、のではなくて、路のごとし、という。その「路のごとし」が無限に遠く空にある。道としての本質が措定さ…
Fb仲間とのやりとりで気がつかされた大事なこと。アートはその時代の物の見方から讃えられたいと思っていなくて、あなたが依拠できる別の物の見方が作品にあるかもしれなません、信じてくださいといいたいだけなのです。「信じてください」の中に「手」が必…
フーコは比喩形象から考える。フーコは言語の端に留まる。外部の思考は書くー 絶対者が内在性に行くことを用心深く避けるように。あえて侍女たちと道化と画家は、京都市井の学者で身分なき町人が君主と士大夫が立つべき場所に立つように、王の場所に立つので…
主語が過程の内にあるという。なるほど、書かれた言葉の文法性が、世俗的日常言語の統一性に絡みとられぬ思考を規定しているという例かも。(規定というと大まかな表現だけど)。漢字についてはどうだろうか。わからないけれどね。ただ気になるのは、これは、…
『論語』は2000年の間、編集され続けた。何が先で何が後か?解釈にもとづいて順番が変更されたり、場合によっては書き加えられたりした。消えてしまった言葉もあるだろう。解釈も常に解体された。『論語』とは、誰が最初に新しくそれを言ったかという差異の…
『論語』は2000年の間、編集され続けた。何が先で何が後か?解釈にもとづいて順番が変更されたり、場合によっては書き加えられたりした。消えてしまった言葉もあるだろう。解釈も常に解体された。『論語』とは、誰が最初に新しくそれを言ったかという差異の…
中近東に軍事派遣するというおっかない意味で、「地球の裏側」に行くと言われ始めた。だけれど、ちょっと待って。地球儀でみると、日本にとって、「地球の裏側」に位置するのはアイルランドなのだ。このズレは何なんだ?国がいう別の意味で、私の想像の中で…
ヴェルディのオペラの民衆は、球上の運動する線のごとくある。「われわれはどこから来て、どこへ行くのだろうか」と唄う。ワグナーのオペラの民衆は環だろう。民衆は集まればそれで解決ということにならない。そこでロゴスはわれわれとしてのわれわれに向か…
靖国問題に取り組んできた姿勢を評価しないわけではありません。勇気あることだとおもっています。問題は、靖国問題を語るとき、「祀って欲しいという遺族はいいのですが、宗教法人としては...」という言い方で先ず心の問題から入ることに対して、デリダな…
靖国問題に取り組んできた姿勢を評価しないわけではありません。勇気あることだとおもっています。問題は、靖国問題を語るとき、「祀って欲しいという遺族はいいのですが、宗教法人としては...」という言い方で先ず心の問題から入ることに対して、デリダな…
伊藤仁斎『論語古義』を読む前に、『歎異抄』『教行信書』を読んだ。『歎異抄』『教行信書』を読まなければ、『論語』を読みなおそうとしただろうか?それはわからない。数年後に、こうしたことのつながりがはっきりとみえてくるかもしれない。確かなことは…
「二十世紀の社会的=政治的な場における想像力の貧困が、一体どこから来るのかとその理由を探ると、マルクス主義が重要な役を演じています。[…]いかにしてマルクス主義と縁を切るかというモチーフが私の思考にとっても根本的なものなのです」( フーコ、…
なぜ、『論語』を読むのか?なぜ、『論語』を読むのか?関心がなかった若い人たちに知って頂きたいのは、二千年間のあいだに展開された思想が、仁斎『論語古義』の注釈に痕跡として存在するのだということですね。現在進行形で、2000年かかって思考している…
アベノミックスと呼ばれる安倍政権に体現された、ネオリベラリズムの近代は、17世紀において卑近さから語り始めた自らの画期的な視点を生かしているだろうか? 17世紀の思想は、複雑な世界から自立しはじめている、簡単な世界の現れをみている。17世紀の思…
17世紀の知識革命 近代においては、価格が価値をきめる。ネオリベラリズムの思想が席巻する現在、何でも彼でも金がものをいう。そこでは社会と市場とが 、価値が価格と同一視される。そういう物の見方が確立したのは、そう遠くに遡らない。500年前からの1…
「朋有り遠方より来たる」。されど文化多元主義の「媚びないおもてなし」はおっかないよな(断ると、いきなり憎悪互酬ゲーム。その競技ならば金メダルは日本に!)21世紀は「遠方より」を「天より」と再び新しく解す。この場合、単純に他者を歓待する普遍的な…
オペラ『パルジファル』(ワーグナー)を読む今日は、19世紀ワーグナーのオペラ『パルジファル』をMET映画オペラ(2012)で観ました。原作は中世の祭祀国家を舞台にしています。共同体の成り立ちのためには、客観的なもの(「聖杯」「槍」「大地」など)との関係…
ネオリベラリズムは、レーガンとサッチャーの時代には戦後社会民主主義の対抗言説としてあった。クリントンとブレアの時代になって、市場から社会民主主義が再構成されるようになる。その結果、社会民主主義の消滅の危機が始まった。グローバル資本主義の時…
ネオリベの思想は、ハイエクに遡る。彼は17世紀から成立した近代の問題に直面していた。17世紀の近代から、自然の諸法則が何でも彼でも支配する言説が起きてきたときに問題となってきたのは、人間は何をすべきなのかという、人間であることの意味を問うこと…
イラク戦争を起こした加害者としての間違いを反省している海外メディアの中には、「テロ」「テロリスト」の言葉を避けるか、この言葉の使用を警戒する放送局と新聞がある。日本の新聞は何の用心もなくその二文字で溢れているが、この国はイラク戦争にかかわ…
文は私をとらえる。私を離さない。たとえば、ふとんのなかで、"ああ、これは書いておかなくちゃいけない"と毎晩おもうのである。これは、「私は債務者であるというだけでなく、すでに払いが遅れている」ということなのである。だけれどね、この過程を、恰も…
?は平仮名世界のナルシシズム。「おもてなし」は大事、されど「媚びない」エートスを「おもてなし」に表現せよということか?または、「媚びない」は「おもてなし」と同一化されているのか?漢字世界は、<表現する>と<同一視する>の違いのほうを考える
和漢混淆文の成立によって、仮名交じり文のスタイルはほぼ完成された。『今昔物語』『徒然草』『方丈記』『平家物語』は仮名交じり文で書かれた最初期の文学だったとみられている。さて漢字受容から千年かかって成熟した、伊藤仁斎の思想は、見方によっては…
小学校六年生のときにつくらされたのですが、反省するために書くけじめノートというものがありました。「あなたはけじめがない。けじめをノートに書きなさい!」と言われて、ノート全部使ってですね、「けじめ、けじめ...」の言葉を埋め尽くしたら、翌日それ…
ドウルーズのカント ー 精緻だけれど過剰を孕んでいる、だからといって生命の論理という型に絡みとられることのない思考の柔軟性。そのためには、カントの古典主義とロマン主義の間にあるように、それは速度を増すために中間intermezzoに戦略的位置をと…
ソ連側の記録で証言されたような人が人でなくなる人体実験。人間を自らの為の手段とする戦争体制がそれを強いた。NHKスペシャルはこの点について心の問題からアプローチするよりも、客観的に掘り下げた。構造的に、満州事変における国民の戦争拡大の要求が存…
靖国公式参拝はいつ終わるのか?五反田駅附近の食堂でのこと。直ぐ横のテーブルに来た父親が十代後半の息子に、神道とは何かを聞かせ始めた。いきなり、彼は神道は宗教ではないと切り出す。日本会議と神道政治連盟と同じイデオロギーを伝える。靖国公式参拝…