2018-08-01から1ヶ月間の記事一覧

本『映画史』

Godard’s seul le cinéma 本『映画史』は発想の大転換が必要。このイマージュの博物館は博物学的連続性の原則と方法をもつ。博物学の本は現実に存在しない動物の絵がそれ似た特徴をもつ生き物の絵の横に理解されないままに配置された。本『映画史』も同様に…

「事件学」「言説学」?

‪ ポストモダン的再構成によって再発見されたオブジェob-jetのDadとsurréalismeは、数学のノマド的隠語の影響のもとに、大衆との関係を失って思考の形式として再出発するproーjecの映画と映画史の構想へと繋がって行くとおもうのだけれどね。面白いのは、映…

ob-jet

‪オブジェといえば、フランス語訳はob-jetと表記されていている(obは方向性を表し、jetは‘投げる’の意)。ヘーゲル精神現象学からブルジョア的所有の修辞をとりのぞくとね、外部に行くか(スキゾ的アンチ生産的生産の方向性)、内部に行くのか(パラノア的表象の…

以前でもあり以降でもある時点にやってきた(on vient à un moment qui est avant et après )

‪以前でもあり以降でもある時点にやってきた(on vient à un moment qui est avant et après ) ‪以前でもあり以降でもある時点にやってきた(on vient à un moment qui est avant et après )...‬ ‪12世紀のアジアにおける思想革命の出現は17世紀の知識革命より…

歴史の歴史

‪歴史の歴史 近代批判の<68>年以降、思想は思想の歴史をはじめて問題にすることができた。思想の歴史は50年たった。ラッセル『西洋哲学史』があったが、それはアジアのものではなかった。思想の歴史は1968年から、<思想の歴史>の歴史をもった。歴史の歴史と…

市民的服従

‪公害裁判支援の運動のときにおもったのだけれど、市民的不服従はわれわれの問題ではない。国の問題である。抗議をやめてしまう市民的服従がわれわれの問題なのかもしれない。ここで、議論があるが国家的体制と考えてみて比較してみると、幕藩体制の政治的議…

ヘーゲル

‪「ヘーゲルが発見すると同時に神秘主義で包んでしまった理論の合理性を、印刷物数ページで通常の知性も持ち主に理解できるように提示できたら、どんなにいいだろう」(マルクス)。丸山真男は『法の哲学』を読んで講座派を包摂した市民社会の自由を合理的に考…

ヘーゲル『精神現象学』

‪L’esprit de ce monde est l’essence spirituelle pénétrée par une autoconscience qui es (sait) immédiatement présente comme vetted ( auto conscience) étant pour soi, et sait l’essence comme une effectivité qui lui fait face. Mais l’être-là …

トマス・マーフィー『ジリ・コンサート』The Gigli Concert

‪The Gigli Concert ベートヴェンなんかはヘーゲルがいう「教養 」Die Bildung の「疎外された精神」だろう。問題はオペラとの関わりである。イタリア人のようにオペラのアリアを歌いたいと望むダブリン中産階級のサラリーマンを描いた芝居を見たことがある…

MEMO

福島の経験からなにを学んだのか? 「外部電源喪失、周知せず 北海道・泊原発、地元4町村」 「空は丘に対する境界線となり、山脈は空を隔てる。大地は海の輪郭を描き、今度は海があらゆる大地を区切るだがあらゆるものの彼方には、それを終わらせるものが何…

ニーチェ

‪サイードだけれど、人間は亡命の場所をもつから知識人が成り立つと言っていたと理解している。そこではじめて反時代的に知識人の形而上学の依拠が成り立つとしたら、問題は、人間はどんな場所に属さないことについてどう考えるかである(「故郷喪失者」の意…

フーコ

一望監視方式を分析した『監獄誕生』のテーマを喚起する文章。監獄の内部と外部(社会)との区別がなくなっていくと言われる。このフーコの一文は、文革の政治災害をみとめながらもなお自らのユートピアへの共感を正当化する言説に対する批判の意味ももってい…

ノモハン事件

当時のフィルムを人工知能のテクノロジーでカラーにした。長さ100kmに塹壕の跡をドローンが撮影した。1939年が可視化される。NHKのノモハン事件の特番のおかげで、太平洋戦争のときに領土問題は戦争によってしか解決しないという経験が生かされることがない…

国の身体を物語る国体論

国家の身体 後期水戸学のイデオロギーでは、国体の「体」は身体の「体」を意味するとのことです。国体はすなわち国の身体。その身体は、(ロマン主義的に)永久に存続する有機体のイメージがありますが、そういうことでもなさそうです。仮に国の身体は戦前と戦…

帰国子女はほんとうにそれほど「帰国」か?

帰国子女はほんとうにそれほど「帰国」か? 「どうしたら『同調圧力』を低く押さえられるか」と教えたいならば、その人は「帰国子女」の「帰国」という言葉に依存している自身に違和感を感じていないとね。この点について、 棄国子女という言葉をFbの友人か…

ヘーゲル‪ 『法の哲学』を読む

‪ 『法の哲学』の読みは学生時代にさかのぼる。精神が定位する人格は自由の理念を指差して即自的とか対自的であると読み解いただけでは、灰色に灰色を塗る抽象とちがわない。精神はあたかも「所有権」のように、理念を自分のものにしなければ意味がないだろ…

‪ 『法の哲学』を脱構築せよ

‪‪精神が定位する人格は自由の理念を指差して即自的とか対自的であると読み解いただけでは、灰色に灰色を塗る抽象とちがわない。精神はあたかも「所有権」のように、理念を自分のものにしなければ意味がないだろう。『法の哲学』を読んだマルクスはこのあま…

精神の歴史について

‪大英帝国の貴族ー産業革命で敗者となったー価値観が独立アイルランドのナショナリズムを形成していくのは、プロイセンの哲学的精神が日本国体を作るのとは同じではない。一方は労働者階級と農民を理想化した中産階級がになった近代化であり、他方は下層武士…

思想史

思想(史)は哲学を位置づけるのと、言語が思想(史)を位置づけるのとは同じではない。このこと自体が思想(史)が明らかにできる課題である。ラテン語の古典が翻訳され注釈がつくられた17世紀ヨーロッパにおいて、芸術がラテン語から自立する形で文学を位置づけ…

17世紀

‪ 「演劇の最も高度な形態は悲劇だ。」(アルトー) ‪ 17世紀の西欧は芸術が文学を位置づけた時代だった。古典が読み直され言語に秩序が与えられて、近代演劇が成立した。時代は劇場に悲劇をもとめた。17世紀のアジアでは朱子の読み直しから起きてくる、漢文に…

演劇

観客の位置も聞く側の非在にあるといえる。話す側の現前にいない。観客の視点から眺めると、舞台の話者と聞く者の関係は、言語の端における関係としてあらわれる。17世紀の芸術が文学に場所を与えようとした時代に近代演劇が成立した。20世紀後半は、あえて…

‪René Magritte

‪René Magritte‬ ‪昼の比類なき広がりと夜の比類なき広がりとが、卑近な身体において、表と裏として、成り立つのはどうしてなのか?それは、身体の観念が無限をもっているからなのではないだろうか。存在としての共通の概念ほど遠くにいくものはない。ボヘミ…

ミクロ全体主義

‪1、全体主義に対する警告は非常に用心深く行う必要がある。教条主義的な二項対立に還元されることがないように、創造的な言論活動を収縮させないように、言説が展開する条件を保つことは大切だとおもう。 2、さてそうして、あえてドゥルーズが問題提起した…

人類に対する犯罪

日本軍の戦争犯罪の認識をめぐって起きた憎しみ(民族主義)を以って憎しみ(民族主義)をやりかえすの互酬ゲームは歴史修正主義と右翼のものであったー安倍首相に発端があるーが、今回韓国大統領の「人類に対する犯罪」という適切な認識にもとづく発言によって…

ポスト構造主義

中学生の夏休みか、高校生の夏休みだったか、『精神分析入門』を読んだとき、知識もなく正確に理解できていなくとも、フロイトの言い間違いの裏側を明らかにしていくその分析の徹底に驚いた。解釈とはこういうものか、と、正体不明なものとの遭遇にワクワク…

ポスト構造主義

中学生の夏休みか、高校生の夏休みだったか、『精神分析入門』を読んだとき、知識もなく正確に理解できていなくとも、フロイトの言い間違いの裏側を明らかにしていくその分析の徹底に驚いた。解釈とはこういうものか、と、正体不明なものとの遭遇にワクワク…

ゴダール

‪ ‪ゴダール『映画史』4Bの最初に、ミッシェル・フーコ『ディスクールの秩序』(1971)の言葉がひかれる。ゴダール伝記本のひとつによると、『映画史』は、声にコンプレックがあったゴダールにナレーター役として語る場を与えたというようなことを記しているが…

ルネサンス

フレンチレストランの恥をかかせることになりかねないのあの申し出を容易に断れぬが、フランス人をはじめ誰も無理みたい。食べるとはなんだろうね、ルネサンスのガルガンチュワの国を混乱させた食事は貪欲な学びの表象と関係あるらしい(Le repas du géant Ga…

なぜ映画は隠蔽できないのか?

なぜ映画は隠蔽できないのか? 長年探してきましたが、投射できる国は見つかりませんでした。投射できる歴史はあるかどうかはまだわからないです。「前近代」という言い方でネガティブに指示されるけれど、偉大なる古典時代は忘却してはいけないんだとしたら…

政治的介入という形の反緊縮の声、根拠としての理の声が遠い‬...

ヴィットゲンシュタインの期待と理性の鎖の不可能について考えた言葉を読む。ネオリベの理論なんかは、期待の形成の為に、計画の一定の限界を分析した理論であったとおもう。問題は、そこから、計画そのものが意味がないとする行き過ぎた言説が、ブレヒトが…