2017-03-01から1ヶ月間の記事一覧

「弁名」ノート‬ No. 25 ( 私の文学的フットノート)

「弁名」ノート‬ No. 25 ( 私の文学的フットノート) 子安氏は仁とは儒家道徳の中核的概念であるという。朱子の定義を紹介する。「天地物生じるを以て心と為す。しかして人物の生まるるや、またおのおのかの天地の心を得て以て心と為すなり。故に心の徳を語れ…

岡倉天心

岡倉天心記念館に展示してある、当時は朦朧画法と揶揄されたという絵画の前に立ったとき、わたしは西洋画と東洋画の区別もわからないアマチュアだから、大英博物館でも見たことがなかった博物学の絵とはこうではなかっただろうかと勝手に想像しました。そこ…

身体

‪宗教と民族の起源を以て憲法をナショナルなものにする対抗によっても、グローバル資本主義の搾取が終わらないときは、ありうべき共同体は、ナショナルな言説からも搾取されることになる。これは、フランスの大統領選挙だけの問題ではない。「美しい国」の「…

大英博物館

南方熊楠がいたらしいが、大英博物館といえば、マルクス。チョークファームの自宅から歩いてきてここで執筆した。彼が仕事した図書館の空間を利用して、秦の始皇帝展があった。労働党の正統派マルクス主義者は不愉快だった。人権活動家はこれを契機に北京に…

「弁名」ノート‬ No. 24 ( 私の文学的フットノート)

「弁名」ノート‬ No. 24 ( 私の文学的フットノート) ここでは、仁斎徳論の批判が書かれている。「徂徠はここで仁斎の徳論を朱子の説と大同小異とし、宗儒の側に押しやりながら自らを差異化している。これは徂徠仁斎に対して終始とっていた言論的戦略である。…

「弁名」ノート‬ No. 23 ( 私の文学的フットノート)

「弁名」ノート‬ No. 23 ( 私の文学的フットノート) う‪「朱子解して曰く、「徳の言たる得なり。道を行いて心に得ることあるなり」と。それ道なるものは先王の道なり。伝に曰く、「苟くもその人に非ずんば、道虚しくは行われず」と。すなわちその徳未だ成ら…

零と廃墟‬

零と廃墟 零というのはそれは何も無い世界に通じる入り口を一つもっている、と勝手にこの想像を推し進めると、壁がボロボロとなった廃墟は沢山の入り口があるでしょうか。そこに参照できる本があったり、時間差のある人びとがいたりして、本ごとに特殊性があ…

知識

一定数 = 知識の量 x 知識の質 これをフクロウ猫の式という。知識の量が無限大に凄いんだけど知識の質が無限小(知識の質が悪い)という文化人っていますニャ

類似性の思考

思想とアートの深いところから連続性(非連続性)を犠牲にして同一性の原理に絡みとられるぐらいならば、思想史とアート史の類似性の思考のほうがいいとおもうよ。広く遠く、がわたしに向いているから。何よりも判断が世俗的である。‪たとえば、「17世紀仁斎と…

映画「ヌーヴェルバーグ」のゴダール

この映像とあの映像は相異なるということは、経験的にそれ以上でもそれ以下でもない。ただ当たり前の話。唯一絶対の映像という超越性の観念を伴なってこそ、初めて多様性の観念が出てくる。人ごとの特殊性をいかに社会的に連ねるかが問われるように、映像ご…

アーチスト

「私は普通のxxです」という言い方で、そうでない人は死ねと攻撃する自己同一性の無秩序から、中でもアーチストが社会的攻撃傾向の対象となるとき、外部に開かれていて脆弱だから抵抗できず酷い傷を受ける。だが結局彼らの作品しか残らないのは、無秩序に対…

なぜジョイス研究者が能・謡曲を解説しようと思ったんだろうかね?悔い改めよと歎く母の亡霊に苛まれるステイーブンにおいて糾弾されているのは、父殺しならぬ、母殺しの疑いでだった。「彗星同士の出会い」と描かれたブルーム(リトアニアから来たユダヤ系移…

類似の思考

「純粋映画というものは間違いだ。どのような芸術においても、客観的表示手段を犠牲にして芸術原理に到達しようとする努力は、全て間違いであるのと同じ事だ。」(アルトー) 類似の思考は事物を書き出す客観的表示手段をもつが、これと投射の思考は切り離して…

共謀罪

政治家に対しては彼らと「私人」たちを守りぬく夜警国家、庶民に対しては容赦のない共謀罪の警察国家

「弁名」ノート‬ No. 22 ( 私の文学的フットノート)

‪ 「弁名」ノート‬ No. 22 ( 私の文学的フットノート) 子安氏の評釈によると、「『礼楽』とは徂徠のいう先王の道の根幹をなす概念である」、「それは祭祀典礼を構成する礼楽に、人間社会を文化的な共同体として形成していく上でもつ重要な意味と機能とを見い…

旅と遠足

旅と遠足 「旅」というのは、動いても動かなくとも「旅」を構成する。デカルトの国外へ出る「旅」は思想的旅だった。隠遁者の「遠足」も方向性をもつ。思想史的遠足は、教室の場から出て、探している国内亡命の場所へ行く。そこに行くのは、外国へ行くときと…

アート

グローバル資本主義の無秩序に対しては、新しい普遍主義の形を倫理学から問うこと。そのとき、無秩序に対しては無秩序を作り出していくこと、アートの意味をつくりだしていくこと

「六十にして耳順う」

2500年前に、「六十にして耳順う」でいわれていることが何を意味したのかよく分からないのです。現在の方が平均寿命も高いのですしね、「四十にして天命を知る」も、ま、今ならば「六十ぐらいかもしれないですし、ま、孔子だから四十代という若さで知ってし…

ケインズ

金融政策は財政政策を伴なわないと効き目がないのに、財政赤字で踏み倒しても構わないのかとする道徳が植えつけられている。ケインズの経済学は若い時に傾倒していた芸術と同様に、道徳を対象にもたない。経済学は反道徳のポストモダン的科学である。(ケイン…

ポストモダン

ポストモダニズムの解体近代は、近代主義の<私はこれから真実を言う>というユートピアに対して、<私は嘘を言う>とする反時代的な思考の柔軟性と批判性に依拠する。トランプというのは、ポストモダン的虚構性(変なもの)でいながら、同時に、近代的に一生懸命…

POST-TRUTHの時代の思想 ?

POST-TRUTHの時代の思想とは何か ? 知識のない私に、浅田氏の圧倒的情報量を含む緻密な説明を正しく理解できているかわからないが、すでに、カントとヘーゲルの真理に対するニーチェとマルクスの<解体>真理をみよ。(「誰がそれを言ったか」「階級が経験事実…

浅田彰氏が言っていたこと

浅田彰氏の話を思い出してる。カント的道徳に対しては、踏み倒しても構わないのがケインズ。金融政策だけでは効果がない(財務省が頑張る。)トランプの選挙に敗れたが文化多元主義は日本にとってまだ意味がある。帝国主義に戻ってしまった現在必要なのは世界…

公人と私人

靖国公式参拝の小泉元首相が信仰の自由と人権が自分にもあると言ったとき、公人が私人の立場を主張する問題が始まりました。このとき十分に反論しなかったから、安倍政権において事実上同じことが起きているのではないでしょうか。他人事とは思えないのです…

「和菓子」

1、「パン」はギリシア神話に登場する牧神で享楽の神でもある。明治末期の「パンの会」は1894年にベルリンで結成された芸術運動「パンの会」に因むもの。さて百年後の人びとは2017年をどう語るのか。「国や郷土を愛する態度」を教科書に要求する人たちが「パ…

憲法

連邦憲法は生者の平等がその中心を為すからトランプ大統領にNOを言う。それと等価なものとして一考の価値があるのは、死者の不平等ー天皇国家が作り出したーを止めた憲法のあり方

国政調査権

三権分立の文字通りの「分立」よりも、均衡と抑制の「機能」が大切。国会は国政調査権なくしては立法権を充実できない。国政調査権の司法作用は司法の独立をおかしてはいけない。これが私の理解する憲法の要請である。だから、「不正や刑事罰に関わることは…

家族

大蔵官僚だった父の紋切り型の言葉が耳元で囁くー「共通一次の官僚たち」‬。それを言うまえに、官僚養成を目的とした東大法学部で一度も民主主義を教えたことがなかったのでしょう? ‪家庭内野党よりも、家庭内階級社会に興味がある.....

「弁名」ノート‬ No. 21 ( 私の文学的フットノート)

「弁名」ノート‬ No. 21 ( 私の文学的フットノート) ‪徂徠の社会教育論。儒教的用語でいえば教化論である。「ただここで徂徠の人格形成論が及ぶのは伝統的社会において庶民から区別される士大夫階層に限られている。」一般庶民は「由らしむべきもの」として…

渡辺一民

‪池袋駅前の喫茶店で渡辺一民氏にバタイユについて質問したとき、「そういう問題は全部、『言葉と物』に書いてあります。訳しておきましたから」と答えられた。20世紀の思想問題のすべて、と言ったかもしれない。確かそう言った。1960年代の『言葉と物』から…

公と私

私人の「私」が、フェイスブックの書き込みで、証人喚問の証言に反論している。国家が代筆しているといわれる。書く主体すら閣議決定で「公」から追放されてしまったということ?