2016-02-01から1ヶ月間の記事一覧

和辻哲郎「倫理学」を読む

和辻の本 和辻の本の風景は数頁でガラリと変わっていきますー日本文化論、世界宗教の教典の解釈論、旅行者の現象学的視線、学者の詩人的思索、骨董屋的過去の文化遺産の展示、語源学的探求と概念の発明。この風景こそは、旧漢語「倫理」の他者性の痕跡を辿り…

バレンボイムを称える

バレンボイムを称える 鑑賞者の聴く立場からすると、マーラとワーグナーはお互いに非常に遠い感じがするのだけれど、ブルックナーを聴くと、マーラとワーグナーのこの両方が同時に聞こえてくる。と、三者の同じ平面を想像できるからほんとうに不思議。このブ…

フーコ「監獄の誕生」(1975)を読む

フーコ「監獄の誕生」(1975)を読む バス車内の広告ポスターに、「美しい国を守る〜未来へと繋ぐ若い力〜 自衛隊幹部候補生募集」と。ヤバイ、今までのと比べて相当ヤバイという感じ。英国では勇気が試される戦争ゲームに君も活躍してみないかというスポーツ…

エーコを称えましょう!

エーコを称えましょう! ▼エーコはジョイスについて積極的に語りました。エーコは彼の「フィネガンズウエイク」を宇宙劇場の鏡とみなしました。だけれど、本というものは、鏡として存在すると言われていることとは正反対に、鏡という形容によって隠ぺいしな…

和辻哲郎「日本倫理思想史」を読む前に

週末はこれを読むことになるのだろうとおもいますが...びっくりしますが、現在、国民道徳というものが、教育の現場で復活する危険があるといわれます。本当ならば深刻な事態です。▼子安氏の講義をきいた私の記憶と理解が正しければ、かつて(国体諭的)国民道…

Godard's goodbye language

Thematically indebted to Mary Shelley’s Frankenstein, Goodbye to Language is Godard’s take on the creation of a monster, with the director himself in the role of the mad scientist. While he lets his creation gather intellectual and emotion…

この五年間のあいだ、25名程の思想家たちの仕事 (江戸・明治・大正・昭和前期と後期・平成)を通過することになったが、それはなぜなのか?

「私は概して、映画のそこが好きだ。説明不在の、光に浴たす、壮麗な記号たちの飽和」(オリヴェイラーがゴダールに言った言葉) ▼映画の歴史において目撃したことは、消滅しつつある映画が詩に移行していくことになったという歴史であった。つまりイマージュ…

和辻哲郎を考える

和辻哲郎が「国民道徳」をモダンな「倫理学」にシフトさせた功績は大きいといわれます。子安宣邦氏はこう指摘しました。「20世紀初頭の近代日本が直面する国家的・社会的規範から生まれた国民道徳論は、19世紀初頭の国家的危機に対応した水戸学の政治神学(国…

近代としての「国民道徳」の誕生

近代としての「国民道徳」の誕生 ▼「徳義は一人の心の内にあるものにて、他に示すための働きにあらず。修身といい、慎独といい、皆外物に関係なきものなり。・・・故に徳義とは、一切外物の変化にかかわらず、世間のき誉を顧みることなく、威武も屈すること…

岡倉天心「東洋の理想」(1903)を読む

岡倉天心「東洋の理想」(1903)を読む 近代日本は戦前が二回ありました。第二次世界大戦の戦前と日露戦争の戦前です。だから「東洋の理想」は戦前に書かれた本、もっといえば、戦前において書かれる必要のあった本だったと考えることができるかもしれません。…

ヴィットゲンシュタイン「論理哲学論考」(1921)を読む

ヴィットゲンシュタイン「論理哲学論考」(1921)を読む 「読者はこの書物を乗り越えなければならない。そのときかれは、世界を正しく見るのだ。語りえぬものについては、沈黙しなければならない」(藤本隆志訳) Il faut qu'il surmonte ces propositions; alor…

ハーバート・サイモンの本 (1982年の講演録をまとめたもの) ー 佐々木恒男・吉原正彦訳

ハーバート・サイモンの本 (1982年の講演録をまとめたもの) 佐々木恒男・吉原正彦訳 ・人間は世界全体を見ることはなく、自分たちの住んでいる世界のごく一部しか見ない。そして彼らの世界のその部分についてあらゆる種類の合理化をでっちあげることができる…

清沢満之「精神主義」を読む

清沢満之「精神主義」を読む 精神の平等がないところに物質の平等がないという事実をレーニンは知らぬと言い切った、大正時代のアジア主義革新思想に先行して、幕末の近世日本の政治思想のなかには、石田梅岩、横井小楠、佐藤信淵において主張されていたよう…

もし別の歴史ならば別の考え方をしたかもしれないのですけれど、しかし私の生きる歴史からこう答えるほかにないのです

「宗教に救いがなければ意味が無いのにどう思うか」ときかれたとき、きょうはなにか無性に腹がたちました。そのときは、信は救済の約束とは無関係だよと友人に答えました。どうしておまえはそんなに怒っているのかときかれました。この当惑気味の問いにひど…

プルースト「失われたときをもとめて」を読む

プルースト「失われたときをもとめて」を読む あえてバイオグラフィーとしての大正 (1912-26)をかんがえると、その生誕は、「失われたときをもとめて」(1913-27)の刊行と殆ど重なります。ジッドはこの小説についていってます。「ある種の書物ーとくにプルー…

プルースト「失われたときをもとめて」を読む

プルースト「失われたときをもとめて」を読む あえてバイオグラフィーとしての大正 (1912-26)をかんがえると、その生誕は、「失われたときをもとめて」(1913-27)の刊行と殆ど重なります。ジッドはこの小説についていってます。「ある種の書物ーとくにプルー…

三木清「パスカルにおける人間の研究」(1926)を読む

三木清「パスカルにおける人間の研究」(1926)を読む 「しかしながら人間の存在が中間的存在であるということはこの存在が平衡を保っている存在であることを意味しない。人間は中間者であることによっていわば物理的力学的支点に立つ存在であるのではない。む…

網野義彦『無縁・公界・楽――日本中世の自由と平和』(1978) について

網野義彦『無縁・公界・楽――日本中世の自由と平和』(1978)に、(映画監督の溝口の)溝口史観のことが興味深く言及されていて、網野はアンチ溝口史観らしいのですね。溝口映画を一生懸命みていたときがありましたから、たかだか映画に中世をめぐる解釈と歴史観…

バレンボイムのブルックナー

演奏中に弦がきれてしまうのを初めて見ました。ブルックナーのマッチョ主義は、ワーグナー流の少女の心をもったへラクレイスの彷徨える都会的にデガダンスとは違って、私の印象の中では、あたかも夢の楽園の花を目覚めたらそれを手にしていたというような、…

大島渚「愛のコリーダ」(1976)を読む

戦地での捕虜収容所を舞台にした大島渚の映画、「戦場のメリークリスマス」では、国家日本の「捕虜収容所」の意味を問うています。真のコミュニケーションの主体となって、他者と自由に出会うことができない人々の悲劇を描き出しています。自身の抱えた全体…

ゴダールの「Tout va bien(万事順調)」(1972)を読む

テレビのルポタージュ的クローズアップの発明によって、ニュース的なドラマが、テレビの小さな四角形の画面に現れた、とグレン・グールドは指摘したことがある。Tout va bien(万事順調)か、Tout ne va bien pas(万事窮す)か、ジェーン・フォンダが友情出…

柄谷「歴史と反復」を読む

柄谷「歴史と反復」を読む 翻訳された柄谷行人の本が人気があり中国の学生たちの間で読まれているのだそうです。中国からの留学生・研究者が柄谷行人の「歴史と反復」を読んだと言っておられたとき、ただ、直ぐにはこの本だったことを思い出せませんでした。…

サンダースの主張は、そもそも学校の段階から格差がある限り格差社会はなくならないという認識に支えられています。全面的に賛成した上で、私なりにですが、近代の教育のありかたの問題について根本から考えるところがあります。

アメリカ民主党大統領候補者の一人サンダースは公立大学授業料の無償化を訴えると報じられています。日本は、裕福な家の勉強できる子供と貧困の家の子供とを選別し、学校を階層化するという、大帝国時代に確立した植民地主義的選別の罪深い社会設計を、21世…

柄谷行人「日本近代文学の起源」を読む

柄谷行人「日本近代文学の起源」を読む ▼柄谷行人の「日本近代文学の起源」をよんだとき、非常に新鮮な息吹を感じました。それまでは、中村光男とか加藤周一のような、なにか中途半端なヨーロッパ中心主義者が書いた日本近代文学しかなかったのです。吉本隆…

フランスの誘惑を再び読む

渡辺一民の市民大学講座「フランスの誘惑」の講義メモ 渡辺一民氏曰く、国を背負う国費留学生の鴎外と漱石と比べてみると、永井の手放しの賛美をみよ自分は寝台の上から仰向きに天井を眺めて、自分は何故一生巴里にいられないのであらう。何故仏蘭西に生まれ…

大島渚「儀式」(1971)を読む

大島渚「儀式」(1971)を読む 第一次大戦は、民衆が国家と国家(フランスとドイツ)との争いに巻き込まれる、総力戦の様相を呈した。民衆の開放感と国家への不信感が戦後、支配的となった。日本の場合、関東大震(1924)がそうした戦争と同等の意義…

神社の改憲運動はなにを目的としているのでしょうか?

神社の改憲運動はなにを目的としているのでしょうか? ▼神道を非宗教として位置づけて規定し、天皇と総理の靖国参拝を憲法上問題ないという方向にしたいといわれています。 ▼国家神道の時代には神道は宗教的地位が曖昧にされ(政府は「神道は宗教ではない」(…

「映像の詩学」(1979)を読む

「映像の詩学」(1979)は、八十年代の思考の置き換えていく知的豊かさと議論の乏しい知的貧しさを告知するような本である。このなかで蓮見重彦は「大衆」というべきところを「映画」と言っているのかもしれない。「映画」を語るとき、それは大衆に見られた「…

「近代の超克」を読む

「近代の超克」を読む 日本浪漫派の'浪漫派'の語が気になるが、例えば、座談会「近代の超克」を語るときに常にその不在がなにがしかの意味をもって言及される、保田与重郎が、「この数年間の文学の動きは、合理から合理を追ふてある型を出られぬ「知性」がど…

田辺元「哲学の根本問題 数理の歴史主義的展開」(1954年執筆)を読む

田辺元「哲学の根本問題 数理の歴史主義的展開」(1954年執筆)を読む田辺元は西田が考えた包越としての全体性に対して批判している。それでは、「弁証法的な行為的な立場、すなわちわれわれは内に根源悪をもち、常に神に叛く可能性というものを内にかかえてい…