2016-01-01から1年間の記事一覧

「映画史」について

C'EST ÇA QUE J'APPELLE DU MONTAGE, SIMPLEMENT UN RAPPROCHEMENT (GODAD)「ただ単に近づけるということこそ、私が編集と呼ぶものです」(ゴダール) • 誕生すべき「映画史」に地質学と地理学が含まれているという。このことは言葉だけに頼ってみるとわからな…

オスカー・ワイルドとは誰だったのか ーグローバル資本主義の時代に読み直される

オスカー・ワイルドとは誰だったのか 1990年代にオスカー・ワイルドの読み直しがアイルランドで始まる。それはなぜか?19世紀末のワイルドは台頭してきたゲール文芸復興のケルト神話にそれほど依拠しなかったという。言及も殆ど無い。民衆を異形の姿でおどろ…

アイルランド文学、"父殺し"としての文学

アイルランドは英国の無意識を構成する"ニュー・イングランド"であったという。アイルランドの"英語"で書く作家達についての分析は精神分析の様相を呈す。ナショナルな自己同一性に絡み取られない作家達を敢えてイギリス文学の息子とみなすとき、彼らの文学…

分類できないもの (3)

もし誰も入って来れない一人だけの部屋で、「作家は最後に自身の署名と執筆した滞在都市の名を書き記して本を完成させる」ことが可能だろう?鍵をかける前に、「作家」と指示されたダブリンが脱出したかもしれないのに... 誰も入ってこれない唯一人の部屋で…

‪‪「銀座鉄道の夜」の舞台

‪‪「銀座鉄道の夜」では天上の端と海底の端が封筒の折り目の如く貼り合わされる。この囲い込んではいけない余白から、東京演劇アンサンブルの山崎智子が新しく何を届けてくるのか

いかに、グローバル資本主義の呪文"ダイバーシティ"に対抗するか?

得意な話ではないのだけれど、"国際チェス"盤上でゲームの規則が変わり、安部政治("この道しかない")の敗北が確定したようだ。トランプの登場で「TPP」「日米同盟」が終わった。「北方領土」も挫折。アベノミックスの失敗も、空爆プーチンとの経済協力で挽回…

オスカーワイルドから始まった

‪ダブリンで脱植民地主義の作家オスカーワイルドの仮面とユートピアの現前に、ロンドンでポリティカルコレクトネスの文化多元主義の偶像を拒む不在に出会う。東京で両者を見渡す‬ ‪いかに、諸々の諸部分の傍らで生み出される一つの全体に関わりながら、全体…

イスラムとヨーロッパ

切り離しては‪いけないものを切り離してしまうとなにが起きるのだろうか?イスラムとヨーロッパとは切り離してはいけないものであった。歴史的にイベリア半島のイスラムを排する形で、近代国家という自己同一性を推進する方向で無理に統合したから、今日にお…

江戸的なものと昭和的なもの

江戸的なものと昭和的なものとは互いに切り離してはならないが、江戸的なものを排する形で、昭和的なものの為に無理に統合もできない(講座派、丸山近代主義)。仁斎・徂徠・宣長・篤胤・藤樹・蕃山・益軒・懐徳堂と、河上・和辻・三木・西田・北・竹内・丸山…

分類できないもの (2)

若い連中に向かって、決まりきった答えを終わらせる為に喋っているのに、このとき「本当に何でも知っているんですね」と言われたら。この男は何て嫌なことを言うのか、どうしよう? 「全ての歴史」「唯一つの歴史」で意味するのは、尽くし得ぬ多から一を見る…

バロックアートから考えるジョイス文学とゴダール映画

‪ジョイス文学もゴダール映画も、ヘーゲルとマルクスによる人間のモノ化、理念性の思弁化を巻き返す形で、海または宇宙それ自身という、切り離してはいけないひとつの全体のように生み出される。それは、それ自身の場所において、この生産の過程の中で、この…

カラバッジオの絵から

彗星の眉毛、蜂蜜の唇、誘惑してくる眼差し。「鍵をしめて誰も入れない一人だけの部屋で私は絵を見ている」と言えるか。「私」と指示された蝶々は脱出してしまったかもしれないのに なんという挑発!カラバッジオは空を飛ぶ天使を描かなかったし、そこでマリ…

カラバッジオを描いた映画、舞踏

‪ 照明家の方から「光でものを照らしてみたい」という言葉を聞きます。カラバッジオもストラーロも、先ず光で照らす、そのとき誰かによる説明は要らないという感じですね。なんというか、理性の言葉が覆い尽くす前に、見えるものから見えないものを直に示す…

芸術とはなにかーマルクーゼの一文を読んで

アートはブルジョア社会の教説が囲んだ他性を解放するとき、エロスはと突き動かしてくる。独占された現実を告発し自立するためには理念なくしてはやっていけない Herbert Marcuse ー Forme, autonomie et vérité Forme ascétique, autonomie et vérité sont …

時枝国語学について

時枝国語学では、漢字を借り物とみるナショナルな観念に従属せずに、不可避の他者とみる可能性があった。思想史的に言って、この可能性はソシュール言語学から自立できた以上の意味をもっていた。漢字と仮名を切り離すべきではないから、漢字を排した形で再…

平田篤胤をたたえる ーあまりに早すぎた近代批判の世界

平田篤胤をたたえる ーあまりに早すぎた近代批判の世界 ・魂は死後どこへ行くのか?いつ消滅してしまい、それまでにどれくらい存続するのだろうか?世界中のどこでもこれはどんな人間も捉えて離さない究極的な問いであった。さて魂との関係を切り離してはな…

オーストラリアとはなにか?

‪当時は日本人が五百人もいなかった幼少時代四年間のオーストラリア経験と現在の今とは切り離してはいけないし無理に統合もできない。オーストラリアはアジアの中の西洋といわれるが、その意味はわかるようでわからない。事実上英国から独立しているだけでは…

「教育」の語はいつ現れたのか?

"江戸の近世"と"明治からの近代"とは切り離してはいけないし無理に統合もできないだろう。17世紀「古義堂」の仁斎の「学ぶ」「教える」は<一対一>で行なわれたという。当時の学ぶ人たちは自分の順番がくるまで別の部屋で待っていたようなのだ。江戸時代は<一…

「教育」の語はいつ現れたのか?

"江戸の近世"と"明治からの近代"とは切り離してはいけないし無理に統合もできないだろう。17世紀「古義堂」の仁斎の「学ぶ」「教える」は<一対一>で行なわれたという。当時の学ぶ人たちは自分の順番がくるまで別の部屋で待っていたようなのだ。江戸時代は<一…

民俗学• 文化人類学について考える

共同体の他の文明からの自立は、その他の文明を絶えず意識しながら、他者の言語を借り物でない自己のものにしていく過程である。マルクス主義ではこのような上部構造の分析は根本的に不可能であるから、自ずと民俗学又は文化人類学と精神分析学のもとに構造…

差異と反復

差異と反復 非政治的なものによる政治的なものの包摂は、ファショ的自己同一性をもたらす作用であった。包摂を解体していくような差異化の思想作業を欠いて、ただ政治的なものを排するという脱イデオロギー的な言説は、その非政治性から反復を、つまり、再び…

分類できないもの

Sh•a(World+ε-N and World+ε-N)d•oW Sh•a(World+ε-N or World+ε-N)d•oW Sh•a(World+ε-N within World+ε-N)d•oW Sh•a(World+ε-N without World+ε-N)d•oW ドーナツの穴は欠如か存在か? "映画を観るときこういうふうに作らなければならんのにこの監督はこう作…

トランプと安倍はいつ終わるのか?‬

‪トランプと安倍はいつ終わるのか?‬ ‪トランプは次期大統領就任が決まった最初の演説で「あんたたちみんなを優先させる、アメリカ人を優先させる」ことをやるのだと宣言しました。選挙中で訴えてきた公約ですね。逆に、これは、トランプがいかに終わるのか…

ジョイスを考えるー「フィネガンズ・ウエイク」

「フィネガンズ・ウエイク」は‪五十数ヶ国語で作り出された。そのためにジョイスとて外国語を学ぶ度に屈辱的に文法に束縛された。彼はシュールレアリストとはいえない。レヴィストロースの深い洞察にしたがってシュールレアリスムをブリコラージュの概念で再…

ハロルド・ピンタをたたえる

ハロルド・ピンタをたたえる ロンドンでブレヒトの芝居「ガリレオ」を観たのは、「大量殺戮兵器」を確認できずという報告を封じられた高名な科学者が自殺した年、あるいは次の年でしたか。ブッシュの米国にしたがうとしたお国のために仕方なかったのか?激し…

オリエンタル学のナポリ大学

Napoli ローマ空港で乗りかえるために二時間待ち、1時間のフライトでやっと真夜中の12時近くにナポリに。嗚呼やっとナポリに着いたかとおもうも、周りは殆ど真っ暗でなにも建物もみえんか。ぼられるんだろうなと予感しながらそのタクシーで宿泊先の宿に行く…

現代アートの展示 : ナポリ

現代アートの展示。アートは、芝生のところに枯葉たちを分離してこれらを指示している。これらを、古代ローマ時代の墓たちが取り囲んでいる。説明を読んでいないのでアーチストの意図を正確に汲んでいないかもしれないが、非常に大切なことを告げる表現で、…

隠蔽について

16世紀のフランスの支配者(王家)が、二世紀に古代ローマで作った模造品ー紀元前2世紀古代ギリシャの彫刻を作り直したーを大量に集めていた。これらの展示を見て、なにか、再語りのような空ろな反復性について考えることになった。16世紀の彼らが関心をもって…

ベンヤミンのナポリ

Napoli ナポリはビザンチン、フランス、スペイン、オーストリアの支配を次々に受けたというのです。ベンヤミンがナポリに「多孔性」を読み解いたことはよく知られています。その意味を理解できる力が旅行者のわたしにあるはずもありません。なにか、無理に統…

本のイメージ

本のイメージを利用した美術が結構あるのは、ビザンチンの影響下にあった時代があったからでしょうか、それはよくわかりませんが、ベジタリアンのお店で面白い広告の写真を見つけました。外から取り入れたものがワインとなって成熟していくように、読んだ本…