2018-07-01から1ヶ月間の記事一覧

支配者の言語

支配者の言語に「服従していない」のは、オリジナルな言葉があったからだというが、だけれどね、過去に支配者が来る前にそれなくしてどんな共同体の言葉もそれほどオリジナルティがあったのかどうか?多分これは、親の環境なくして子供の独立した純粋世界が…

ゴダール

論争<"ユダヤ的ランズマン"vs."カトリック的ゴダール">1985年に制作されたドキュメント映画『ショア」は、95年に日本で公開された。クロード・ランズマンとゴダールのあいだの収容所をめぐる"ユダヤ的"vs."カトリック的"と揶揄された論争があった。この論争…

国体の現在

‪150年間もヨーロッパとその国家を追いかけてきたというのに、あちらで成り立っていることを日本でできないのはなぜだろうかとだれもおもう。人を殺すのは国家の名においてか?というか、秋水や大杉栄に対して国家に固有なものがあるとする国体が人殺しを行…

ゴダール

芸術が映画を意味づけることの難しさは、偶像禁止が偶像崇拝を意味づけるのが難しいのと似ている。そこで座礁するぐらいならば、思想の歴史として映画の歴史を意味づけるという漂流をえらぼう。‪豊穣に解釈する言葉に定位する、沈黙する映像‬よ。あなたに、…

思想史

思想というのは外部をもつから、外部との関係から自己との関係の絶えざる再構成が成り立つ。外来思想(仏教)は中国思想の自身との関係を再構成させた。外部からの感化の大きな運動のなかに、例えば理気論がいかに古代の天の思想を意味づけるかという問題意識…

7月『論語塾』(飯田橋)で学んだこと、考えたこと

7月『論語塾』(飯田橋)で学んだこと、考えたこと‪天の主宰性を意味づける思弁的存在論は、生々的運動とその始まりがあるが、歴史の概念は無いといわれる。知は歴史をもつためには、その思弁的存在論を脱構築する、生々的運動に始まりがないとするほどの有限…

7月『論語塾』(飯田橋)で学んだこと、考えたこと

7月『論語塾』(飯田橋)で学んだこと、考えたこと‪天の主宰性を意味づける思弁的存在論は、生々的運動とその始まりがあるが、歴史の概念は無いといわれる。知は歴史をもつためには、その思弁的存在論を脱構築する、生々的運動に始まりがないとするほどの有限…

思想と言語

世の中を俯瞰するほど高い所にいるわけではないから、その大きな世界を自身がすんでいる小さな世界に投射して考えるしかない。とすると、たしかに事実を十分に知らずに間違っているということが自分に多々起きる。だけれど考えることをゼロにしている状態は…

竹内好

反抗する奴隷が反抗する奴隷であり続けるためには?と問う竹内好は初めて、約束されていたが名指されなかった物を正しく名指した。否、透明すぎる19世紀ロマン主義の再語りか?奴隷の起源を資本主義からの純粋な独立に同一化した所を、Wang Huiはあまりに文学…

MEMO

昼の本と夜の本 (the book of the Night)があるが、普遍的歴史の河たち(Rivers of Univeral History)は後者が取り組む問題意識である。 国家は法の名によって人殺しをするといわれるその意味を私は理解してはいない。死刑と法とは無関係と疑っているから。国…

1979年 (推敲中)

1979年 (推敲中)当時の大人達に石油ショックの政治背景をたずねても大抵彼らは説明できなかったが、「イラン革命」については饒舌で、「伝統的共同体の思想をまもる革命云々」と語るのであった。そこに、清算しきれていない前近代にたいする優越感が常に厭ら…

『仙境異聞』を読む意味

どーも安倍シンゾーに共感もつ人々に岩波が売りまくっているのかね。読売が「怪」という。だけれどね、「太陽の近くまで師匠の天狗と飛んだ」と寅吉が平田篤胤に語るとき、それは驚くべきオカルトの類いではない。対象に近づくことができるのはそれが動いて…

ドキュメンタリー映画『シャルギー(東洋人)』

井筒俊彦の生涯・思想・業績を紹介するドキュメンタリー映画『シャルギー(東洋人)』‪‪ドキュメンタリー映画を見て、不十分だけれど、知識のないわたしのようなものでも、イスラム原初テクストを媒介とした中心と周縁の言語的関係の輪郭をすこし考えること…

フィネガンズウエイク

ジョイス『ユリシーズ』について、デリダが『エクリチュールと差異』のなかで(コギトと『狂気の歴史』)、書いている。一見頗る難しいが、要するに、挿話イタケの後に挿話ペーネロペーと続く順番をかえてみても、モリーの文章を作ることは「教理問答」ほど分…

ベルイマン「ファニーとアレクサンデル」

‪ベルイマン映画「ファニーとアレクサンデル」は、「ハムレット」を再構成する形で亡霊を主題としていて、そこで監督の仮面の問題意識をも発展させていた。余りに多くの仮面をもつ亡霊をやめれば顔の実現が成り立つのか?亡霊と現れをめぐる二項対立、ユート…

Métaphysique ー Foucault

‪Métaphysique 1‬‪ー Foucault et J.B.Merian,(1723-1804)‬< Que le philosophe se pique de précision autant qu'il le voudra...j'ose pourtant le défier de faire un seul pas dans sa carrière sans l'aide de la ressemblance. Qu'on jette un coup d'…

包摂と展開

「包摂」は前の時代のルネッサンス的概念だけれど、スピノザにおいては「展開」のことが考えられてていくことになったといわれる。動物にに成る、とはなにか?「包摂」は人間だとしたら、「展開」(過程)は動物でしょう。この場合、後者は前者を規範的根拠と…

ジョイス

英国とイタリア(ローマ教会)に支配されてきたと語る外来性の意識は、自由と独立の純粋アイルランドをケルト的古代にさがす。先祖のゲール語が絶滅させられたという非難に対して、そうじゃないよ、アイルランドの生活者達自身が生活するために棄てただけさと…

和辻哲郎

ヨーロッパ人がキリスト教もギリシャ文化も決して外来文化とみなしていないとよくいわれるけれど、ヨーロッパに属することもその部分であることも意識しなかったアイルランドの「ヨーロッパ人」からみると、どんなことが言えるのか‬?ついでにいうと、ベルギ…

先行する項は常に無限である。常にその無限は卑近にある

前近代といわれることにすでに隠蔽がある。近代がいくら言葉と物の統一を以って迷宮として描きだそうとしても、隠蔽しようとも、けれども、言語が集中する方向で、世界は言葉と物の分裂が起きているのだ。先行する項は常に無限である。常にその無限は卑近に…

エイゼンシュタイン『イワン雷帝』

変なものができあがったなあ、と、『イワン雷帝』は意味が問われる記号。エイゼンシュタインの「西」の経験の意味はなんだったのか?映画のなかで描かれたロシアは自らに向かって、「第三のローマがわれわれだ。第四のローマはない」と繰り返し宣言する。そ…

属性と本質

‪ドゥルーズの前に、ドゥルーズのように、共通概念から、属性と本質を混同せずに考えていく読み方でスピノザを読み解いたものはいなかったとおもうのだけれど、ドゥルーズにおいてこのように初めて言われたことを恰もバロック時代に遡る過去から言われてきた…

石田梅岩

戦争で負けたことをみとめこれを考えるところから、仁斎とカントから、"石田梅岩とわれわれ"へ行くのか?何時迄も戦争で負けたことを知らずに、明治維新150年から、"ヘーゲルと世界史的人倫国家のわれわれ"を追いかけるつもりなのか?

‪「コミュ力」について

‪全体主義については用心深く語らなければいけないですが、避けてもいけないときだろうとおもいます。「コミュ力」の究極は、安倍首相の支持率によって言葉を変えていくある種の全体性にあるのではないでしょうか。新自由主義・新保守主義の時代は、言葉を語…

アンドレ・バザン André Bazin

アンドレ・バザン André Bazinアンドレ・バザン『映画とは何か』(野崎、大原、谷本共訳)を読むことにした。30年前に投げだしてしまった、「写真映像の存在論」とは何かを再び考えている。「リアリズム」とバザンがいうものは、他の「リアリズム」と比べるこ…

アンドレ・バザン André Bazin

アンドレ・バザン André Bazinアンドレ・バザン『映画とは何か』(野崎、大原、谷本共訳)を読むことにした。30年前に投げだしてしまった、「写真映像の存在論」とは何かを再び考えている。「リアリズム」とバザンがいうものは、他の「リアリズム」と比べるこ…

方法としての17世紀

‪方法としての17世紀後期近代を迎える20世紀が自らの行き詰まりをみせたとき、なお近代しかないというようなことになったとき、何とかしなければいけないと考えた知識人たちのなかには、近代が始まる17世紀は何かと問う者たちがいた。ポスト構造主義からは、…

江戸思想

「完全でなかった」けれどと一応言って、徳川日本と比べて平等の達成を行なった明治維新を評価するパターンがある。安倍政権を批判する人達からもこういう話をきかされる。だが、まさか、差別が広がったのではないかと疑った痕跡が全くない。疑うことがなけ…

思想の歴史ー 6個のゲームの規則‬

‪思想の歴史ー 6個のゲームの規則‬‪1 古典の読みの再構成によって言語の成熟が起きてくる。2へ進む‬‪2 脱構築的に、分節化されていない思考の優先順位を求めよ。3へ進む‬‪3 確立した物の見方とは別の物の見方へ行け。4へ進む‬‪4 抽象化は不可避の他者との関…

大島渚『絞首刑』

約十年前にBFIのフィルムを借りてアイルランド初上映を手伝ったのは、感謝している国だったのでよかった。大島渚『絞首刑』といえば、パリの68年前夜に、学生たちがみた映画。彼らはこの映画の意味を理解できたのだろう。『絞首刑』を一番見ていない国はもし…