2015-05-01から1ヶ月間の記事一覧

ゴダールの映画史は、いかにプルーストを読むのかを問うた映画であった。本で読んで考えるところを、敢えて映画でプルーストを考える意味はなにかとゴダールは問うたのだ。

ゲール語の消滅が起きた後に二十世紀にアイルランド語の再建が起きる一方で、どこの国の言葉も翻訳不可能な「フィネガンズウエイク」が現れた。それが<帝国>アメリカのどの国家の固有性に根ざさぬ包摂を代理するとしたら、プルーストとゴダールは忘却によっ…

ペネロープ (1)

Yes because he never did a thing like that before as ask to get his breakfast in bed with a couple of eggs since the City Arms hotel when he used to be pretending to laid up with a sick voice doing his highness to make himself interesting …

高橋源一郎の意見をよむ ー ブーメランみたいに戻ってきた「周縁」論について

ブーメランみたいに戻ってきた「周縁」論について グローバル資本主義・帝国・日本株式会社からの自立が問われている。全文は読んでいないが、新聞のインタビューで、憲法改正の危機を訴えた作家は「周縁」の意義を言いはじめたようだ。「周縁」で意味される…

Ithaca (1)

ブルームとスティーブンは帰り道、どんな平行線を歩んだのか? ブルームとスティーブンはいっしょに、ふつうの歩調で、べレズフォード・プレイスを出発した。下および中ガーデン通りを経てマウントジョイ広場通り、西へ、それから歩度をゆるめてブルームとス…

世の中に受けない'ヤジ'の話題

最近の映画ではなんとリムリック出身の俳優がクロムウエルを演じるので狼狽いたしますが、17世紀のイギリスを舞台とした、国王・貴族と、反国王のクロムウエルがいた市民階級との争いは、21世紀のコンテクストで置き換えたら、国際資本と大銀行と、国内の中…

「エコノミスト」誌の風刺画

「エコノミスト」誌の社説は、イラク戦争のときブレアー元首相の米国協力を支持していました。ヨーロッパに十年以上住んでいた私などは、「エコノミスト」誌の風刺画をみると、日本のメディアの息苦しくなってきた翼賛体制のような危機的状況のことよりも、…

シュールレアリスムを排除したナチス<世界>と、世界史の「資本論」を語りださせている現代日本の読書人・知識人<世界>

子安氏は、現代日本の読書人・知識人がピケティについて論じるとき、彼が行っている経済学・統計学・人類学・言語学などの知見をさかんに取り入れた民衆の生活に注目する「社会史」的視点、アナール派の視点を完全に無視していることに不満を述べています。…

いかに荻生徂徠をとらえるか?

「侍女の間」の画家ベラスケスは、モデルとして描くべき君主、描くべき非合理な存在が、眼の前から消滅してしまいそうで当惑している。鬼神のような非合理な存在を前提とした社会を考えていた思想家の孤独は、スペインの画家のより深くなるであろう。祭祀的…

岡倉天心の平和主義理念を再構築するような、東アジアのノリナガ二ズム (あるいは、東アジアの反ノリナガ二ズム)は不可能だろうか?

光州事件を証言した、韓国のアーチストが、反靖国をアピールするために、東アジアのヤスクニズムと称した展示をブレヒト小屋で行うようです。数年前に洪さんの講演会に出ました。東アジアの人々は、靖国神社という日本国家のあり方にたいして事なかれ主義的…

BLOOMというのは、四端の心だね。

BLOOMというのは、四端の心だね。病院を舞台とした「太陽神の牛」は、'人の為に死ぬな'を言うとき、BLOOMの <惻隠の情> を通して物語る。海岸の 「ナウシカ」は、<羞悪> (都市の刹那的消費を非難)。赤線地帯の「キルケ」は、多分ジョイスにとって滅茶苦茶苦…

映画の道を初めて制作した聖人が囁いてくるような、祭祀的なものが、ゴダール「映画史」において不可欠となるのはなぜか?

ヌーヴェルバーグの批評家が発見した映画の作家達(ラングとかヒチコックとかルノアールとかブレッソンとか)は、儒学の言葉で'鬼神'(つまり 死者)として、映画の歴史といかに関わるのだろうか?という異様なテーマを考えていたときに、突然グラグラと地震で揺…

ジョイス「フィネガンズ・ウエイク」と、<帝国>アメリカのどの国家の固有性に根ざさない包摂のあり方

わかっているだけでも、50か国語以上の言語を利用して書かれているジョイス「フィネガンズ・ウエイク」(FW) の和訳は、現在に至るまで7種類ぐらいあるそうです。トリエステの国際シンポジウムの場で、一番最新の日本語訳のことを告げたら、ハンガリー人研究…

アイルランドの政治 ー dissidence

アイルランドの政治 ー dissidence フランス革命後の論争は、アナキズムへ行くのか国家主義へ行くのかを問いました。1870年のパリコミューンの社会主義はアナキズムへ、1917年のロシア革命の社会主義は国家主義、したがって一党独裁一国社会主義ツァーリズム…

アイルランドの人権活動家のデビッド・ノリスDavid Norris について

文学というのは、一番抑圧されたものを、主人公として設定してきました。これは、ジョイスが「ユリシーズ」で、アイルランドで生まれたユダヤ系の人物を主人公にした最大の理由であります。現在ジョイスが書いたら主人公は間違いなくパレスチナ人だと新聞で…

人のために死ねという国家道徳 vs. 人のために死ぬなという市民道徳

人のために死ねという国家道徳 vs. 人のために死ぬなという市民道徳 特攻隊で英雄的に死んだり、人のために死ぬのは、まちがった、むだな死に方であり、それは民主的ではありません。まちがった、むだな死に方を称えるのは、現在学校で押しつけている教えよ…

今日の居酒屋トークは、この一か月で、'アジアがみえなくなってきた'

今日の居酒屋トークは、 ポツダム宣言を知らない安倍が益々、自己の(戦う)「こころ」に向かって内部的に孤立していく、吉田松陰化のバカ丸出しだという話題でした。もうひとつの話題は、この一か月前のAIIBのヨーロッパ主要国加盟でアジアがみえなくなってき…

この一か月でアジアがみえなくなってきました!?

この一か月でアジアがみえなくなってきました!? 今日の「論語塾」のあとの居酒屋トークは、ポツダム宣言について知らない安倍晋三が益々、自己の(戦う)「こころ」に向かって内部的に孤立していく、吉田松陰化のバカ丸出しだという話題でした。それともうひ…

「偏在するコレ性」でいわれる意味はなにか

もはやドゥルーズは古典です。左翼的に、右翼的にも解釈できるという意味で。「アンチ・オィデプス」も「ミルプラトー」も左翼の独占物ではありません。そこで、素朴な右翼の言説とおもわれたくなかったら、ドゥルーズの言葉からひいてきた千葉氏の<偏在する…

安倍がポツダム宣言を読もうとしないことの意味はなにか?

ポツダム宣言受諾が知っておかなければならない常識かどうかのまえに、そもそも常識そのものに意味がないと嘲笑っているとしたら、こういう権力者はいかに破壊的な衝動をもつのかということをかんがえておかないと。平和をいう憲法9条だけでなく人間の生存権…

映画と詩人

現実には映画は生産されているし、また自分も次々に新作を発表しているとしても、ゴダールにとっては、映画というものはもう終わってしまったもの、消滅しきったものである。よみがえることはない。だから「映画史」では、かつて存在したとする映画の名が廃…

子安宣邦「仁斎学講義」を読む、朱子学ロゴス中心主義を脱構築的解体すること

1、東アジアの「論語塾」、朱子学ロゴス中心主義を脱構築的解体すること 伊藤仁斎が十年近い瞑想中心の知のあり方に限界を知ったのは三十歳半ばであったという一文を読むとき、彼が自分の書斎から縁側を横切って庭へ出ようと一歩を踏み出したときの様子を想…

東京演劇アンサンブルの「未必の故意」(安倍公房原作、尾崎太郎演出) を観劇

事件として起きたおぞましい経験の意味を共同体の誰もが知っていたはずだが、現在のわれわれはそれを知ることができません。ただ検事(模擬裁判)の信頼できない作文を通して探るだけです。きょう尾崎氏がなぜこの芝居にこだわったのかを考えながらじっくりと…

70字の英語

70字の英語外国語の場合、外国人の頭で喋っているときはスラスラ通じる。が、日本人の自分がそのことを喋るときにつっかかる距離のことは表現できない。この一番大切なところが通じない。ここから始まる

オーストリアの映画

オーストリアの映画 フリッツ・ラング、ビリー・ワイルダー、ジョージ・キューカスなどは、ドイツの映画監督だと思っている人が多いとおもうのですが、(私もそうでした)、オーストリアの監督たちなんですね。ただそうはいっても、最近のへネケのオーストリア…

70字の道

70字の道 カントと同時代の伊藤仁斎は市民倫理の思想家で、「人の歩み行く道の外に道はあるのか」と問うた。「ドイツ・イデオロギー」を紹介した和辻ならば、人と人の関係によって道がなりたつと言うだろうか

70字のヨーロッパ中心主義

70字のヨーロッパ中心主義 帝国大学は終わっても帝国主義の知は終わったのか?戦後ヨーロッパ中心主義の知は国家を奪われた隣人のアジアの怒りがみえないのは、自分の尺度でしか歴史を測れない知のあり方だ

70字の表現の自由

70字の表現の自由 表現の自由は、民主主義を実現しようとして、ナショナリズムの方向と一致していた歴史があった。だが現在、フランスを例に、国家の敵対する他者に対する揶揄の自由とナショナリズムは、民主主義を実現しているのか?

70字のイタリア

70字のイタリア イタリア人が自ら揶揄する「オペラ的なイタリア語」による会話には、その言語によってこそ表現しうるイタリアの歴史がある。まだ近代国家の歴史が浅く上からの統一に囲まれぬ人々の魅力というか

70字のドゥルーズ

70字のドゥルーズ <一>と言おうと<多>と言おうと、ドゥルーズ理論のどの部分に視点を置くかの問題であって思想の本質的な理解に大きな違いはない?だが、<一>の<一的多様体>の読みほど<多>のドゥルーズを台無しにする解釈はない

70字の接頭語「反」

70字の接頭語「反」 目の前の他者として出会う努力を十分に行わず、あちらを<まとめて>嫌ってエスカレートしていく前提として、こちらを<まとめて>好きになるという孤立した内部化