ジョイスを読む

ジョイスを読む

‪『フィネガンズ・ウェイク』における父娘間の近親相姦の徴よりも大事な問題は、大きすぎる父と天の存在である。父と天は書かれた言葉を住処としている。書かれた言葉の高さを嘲笑うのは、『ユリシーズ』の中の挿話「イタケ」だった。「教理問答」の書かれた言葉の終止符、ここから、‪『フィネガンズ・ウェイク』にはいる。‪神と対等な高さを実現しようとした「バベルの塔」にたいして4回雷がおちる。ジョイスは民衆の語る言語の多様性にこそ、普遍言語の痕跡をみている。だけれど書かれた言葉のその高さがなかったならば、挿話「太陽の牧歌神」ではアイルランド英語のパブ的乱痴気騒ぎに至る水平的広がりが可能だっただろうか。民衆の話される言葉をユートピアとしてたたえれば、そのことを以てなにかを喋ったつもりになっちゃうのはね、政治的意味が大きすぎる、危なっかしい救済論のことを思ったりする‬のだけれど。日本会議の文化人たちは「やまとことば」を語っている。