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思想史空間の多様な構造は「日本思想」を分析できるか

復古主義というのはアイルランドでこれを考えることになりました。日本復古主義の問題を考えている現在の私の理解では、復古主義とは、未来を思い出すために、いかに言語の中の過去の姿をおもいだすかという問いをもつ思想です。幕末と明治維新はこの種の復古主義的言説にとらわれていました。私の言い方では、日本の近代は、未来を思い出すために、中世よりもまえの遥か遠い過去ー古代ーを呼び出すのです。思想史的遠足の中で弘道館の展示を見学したとき、「大日本史」の水戸光圀の前期水戸学と会沢正志斎の後期水戸学との間に断絶を感じました。この非連続性は、荻生徂徠からの後期水戸学への影響があると一応考えられます。近代天皇制のブループリントはこの徂徠が作りました。だが徂徠の天下安民の道と後期水戸学の尊皇攘夷との間に還元できない断絶があるようにみえます。そこに本居宣長とか平田篤胤からの影響も考える必要があるのですが、しかしここではそこに立ち入らずに、あえて、日本に中世があったのかという問題提起から、日本復古主義の問題と私が呼ぼうとするものを説明できないだろうかとおもうのです。日本は中世がなかったかのかもしれません。二つの日本のうち、西は応仁の乱まで古代王権が続いたし、東は武士政権の近世でしたが、この前提で、結論を先に言うと、中世という媒介がないとき、直に古代に結びつくことが近代の思考において繰り返し起きるのではないかということ、これが私が言いたいことです。「日本思想」は「日本古代」遡ることをやめません。「日本思想」は、自らがかくあることは日本古代からする必然性を知らなければならないと言い続けるのです。これは何でしょうか?図式的に示すとこういうことですね。‬

‪系列A->系列B->系列C->系列Dという流れSでは、系列C(現在)は系列D(未来)へ行くために系列B(隣接している過去)から出発するのが復古主義の思想です。ところが系列A'->( )->系列C'->系列D'というような、流れSの系列Bに対応する項がない流れS'をみてみると、この場合、系列C'(現在)は系列D'(未来)へ行くためには、系列A'(過去)から出発するしかありません。流れSから眺めると、流れS'においては系列C'(現在)と遠い過去とが媒介なく結びついているとみえるのですがね。この流れSをヨーロッパ、流れS'をアジアと呼ぶかはそれは思想史空間の多様な構造のあり方として今後検討すべきテーマです。思想史空間の多様な構造は「日本思想」を分析できるか、ですね‬

思想史的遠足のあとで ー

私の理解では、復古主義とは、未来を思い出すために、いかに言語の中の過去の姿をおもいだすかという問いをもつ思想です。幕末と明治維新復古主義的言説にとらわれていませした。私の言い方では、日本の近代は、未来を思い出すために、中世よりもまえの遥か遠い過去ー古代ーを呼び出すのです。弘道館の展示を見学したとき、「大日本史」の水戸光圀の前期水戸学と会沢正志斎の後期水戸学との間に断絶を感じました。この非連続性は、荻生徂徠からの後期水戸学への影響があると一応考えられます。近代天皇制のブループリントはこの徂徠が作りました。だが徂徠の天下安民の道と後期水戸学の尊皇攘夷との間に還元できない断絶があるようにみえます。これは何でしょうか?そこに本居宣長とか平田篤胤からの影響も考える必要があるのですが、しかしここではそれに触れずに、あえて、日本に中世があったのかという問題提起から、日本復古主義の問題と私が呼ぼうとするものを説明できないだろうかとおもうのです。二つの日本のうち、西は応仁の乱まで古代王権が続いたし、東は武士政権の近世でしたが、結論を先に言うと、中世という媒介がないとき、直に古代に結びつくことが近代の思考において繰り返し起きるのではないかということ。これを図式的に示すとこういうことですね。‬

‪系列A->系列B->系列C->系列Dという流れSでは、系列C(現在)は系列D(未来)へ行くために系列B(隣接している過去)から出発するのが復古主義の思想です。ところが系列A'->( )->系列C'->系列D'というような、流れSの系列Bに対応する項がない流れS'をみてみると、この場合、系列C'(現在)は系列D'(未来)へ行くためには、系列A'(過去)から出発するしかありません。流れSから眺めると、流れS'においては系列C'(現在)と遠い過去とが媒介なく結びついているとみえるのですがね。‬

もう人間とはおさらばだ、

妖精と共同生活しよう

とりあえず現在もっているものと

できそうなことをクレヨンで書き出してみた...

国際便で何ヶ国も彷徨う19箱の本たち、

マイナーなものづくり、

地下茎のように共通の部分が腐った

ガラクタ学問、そして思想史的遠足

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もう人間とはおさらばだ、

妖精と共同生活しよう

とりあえず現在もっているものと

できそうなことをクレヨンで書き出してみた...

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マイナーなものづくり、

地下茎のように共通の部分が腐った

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妖精

もう人間とはおさらばだ、

妖精と共同生活しよう

とりあえず現在もっているものと

できそうなことを書き出してみた...

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地下茎のように共通の部分が腐った

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「弁名」ノート‬ No. 18 ( 私の文学的フットノート)

「弁名」ノート‬ No. 18 ( 私の文学的フットノート)

先王による道の制作は、天下後世を明らかにすることである。子安氏は評釈で徂徠『弁道』の言葉を引く。「先王の道は、天下を安ずる道なり」と。そこから仁が天下安民にかかわる徳としていわれることにんるという。「仁とは、人に長となり、民を安んずるの徳を謂うなり」。仁斎においては民が自立するために依拠するものはなにかと問われるが、その仁斎から影響を受けながらも徂徠の場合、聖人が配慮し依拠するものが何かが問われることになっていく。私の理解では、主観的になればなるほど依存から離れていく。(主観といっても、一己的な形成としての徳をいうのではない。だから民の自立が問題となってくる。) 仁斎倫理学において道徳性(「道」と徳」の区別が殆ど無い)と自立性は互いに手を取り合って多様性の方向へすすむ。「学」がこれを媒介する。他方で、客観的になればなるほど依存から離れていくという場合も相補的に考える必要がある。徂徠において道の制作の客観は、聖人が配慮し依拠するような民の「相互補助的な性情、共同体形成への傾向をもった性情」であった。(聖人という)同一性が多様性に先行する、聖人が性情と能力に先行する、と私は読む。ここに徂徠の社会哲学の一端をみてとる。子安氏の説明によると、「さらに徂徠は先王の道とは、政治的暴力や服従の強制によらない、自ずからなる社会的統合をもたらすような安民の治術であることをいう。その際、先王聖人が配慮し、依拠しようとするのは、人びとが有する相互補助的な性情であり、運用営為する才能である。徂徠が一般民衆に認めるのは前者であり、指導的人士に認めるのが後者である。これらの性情や能力を前提にして、先王は天下国家を安定的に構成していく道すじと、その模範的な世の形姿とを道として示したのだというのである。」(徂徠学講義 )

追記 : 天皇の権力構造は、明治の近代とそれ以降の展開に負うであろう。西欧の君主の無誤謬性と一見似ている大き過ぎるその特権は、天皇機関説に対する非難と同時に帰結されるものだったといわれる。それ以降、天皇は唯一の主権者であり、憲法の権利を停止でき、軍を支配する統帥権をもつ。議会が指摘できなければ、一体だれが天皇の間違いを指摘できるかというほどの権力の集中。靖国神社を主宰する死者を支配する最高権力をもっていくことになったたから、議会制民主主義の合理を非合理に超えられてしまうことに。そうしてピークに至った昭和十年代の天皇に定位した無誤謬性はむしろ全体主義の概念が適用されるべきである。とくに伊勢靖国にかかわる天皇のシンボリックな立ち位置を歴史的に検討することが大事で、天皇の文化権力としての成り立ちというか、それは幕末の思想運動に遡る。現在日本会議が拠り所にしているところの、現在の天皇超大好きの国民に自分たちの感じ方というか、あたりまえに感じて疑うことのないその気持ち悪いものをできるだけ合理的に相対化してもらうためには、(おせっかいかもしれないが)、思想史をできるだけ伝えたいと。近代天皇制の青写真ー祭祀国家的なあり方ー作ったのは、本居宣長荻生徂徠です。現在徂徠がいかにそれをつくりだしたかを説明しようと考えて、かれの「弁名」を投稿しはじめた。きょうの投稿は天皇の文化的言説ー天下安民の道ーと関係があるもの。末の後期水戸学はここから影響をうけるといわれるが、徂徠の考え方はナショナルなものではなく、政治神学というか、全体の視点をもって人間社会を見通した社会哲学のようなものだと考ええられる。

高橋源一郎氏の現代語訳「教育勅語」を読む

高橋源一郎氏の現代語訳「教育勅語」を読む

17世紀に起きたアジアの知識革命、平等にだれもが自発的に学んでこれを拡充すること、この学ぶことの充実が依拠すべきデモクラシーの充実の前提となっていること、こういうことは、「教育勅語」が隠蔽することになった。「はい、天皇です、よろしく」と訳しはじめた高橋源一郎氏は、「教育勅語」がもっている、天皇が教育を与えるという形式とその問題をわかりやすく理解させようとしている。そしてただ理解させるのではなく、偶像破壊的である。それは上手くいっていると思うが、ここから現代語訳はもう一つの問題も理解させなければならなかった。‪「教育勅語」が問題だったのは、指摘されるように、「國體(こくたい)」概念の曖昧さにあった。「大日本帝国は、万世一系天皇皇祖の神勅を奉じて永遠にこれを統治し給ふ。これ、我が万古不易の国体である。」と定義されているけれど、このように定義されても理解できないし、というか、最初から理解されることを拒む定義としか言いようがない。高橋氏は「此(れ)レ我(わ)ガ國體(こくたい)ノ精華ニシテ」を、「この国の根本」と平易に訳している。注釈なしで、この訳のみで「教育勅語」の危うさをどれだけ考えることができるのか分からないが、せっかくこの訳を生かすならば、「この国の説明不可能な起源」という訳も可能だったとおもう‬。 「教育勅語」の危うさを伝えるためには、「この国の説明不可能な起源」と私なら訳す。国体概念の何が国家の根本かを説明しない危さは、共謀罪の何が罪であるかを説明しない危うさの問題でもある