2016-12-26から1日間の記事一覧

ラカン

‪「私は嘘つきだ」「私は話す」(フーコ)。「私は真理を話します。すべてではありません。」(ラカン)。嘘か本当か、全てではないことを語るか、女は自分以外の女を語れないか‬ 「私は嘘つきだ」「私は話す」。私は話すのは、経験知による真偽に関わらない。真…

ジャン=リュック・ゴダールの世界 No.47

わたしにはもはや希望がない 盲たちはある出口について語っている わたしは見る (「映画史の本文の前に置かれた映像と言葉。ゴダールとマリーミエヴィルのテレビ番組「6x2」(76)のなかより) ‪出口から切り離してはいけないものが理念的にある。ゴダールは話…

二つの内部 (2)

対立しあう二つの内部を切り離してはいけない。‪他を必要としない内部と、他に依拠する内部がある。後者を排する形で、前者の側に無理に統合すると、時間的包摂しかみえてこない‬ ‪諸々の諸部分の傍らに一つの全体をとったその近傍の領域を自ら襞の如く内側…

フーコ 「言葉と物」No.32

ヘーゲルとマルクスはカントの後に、精神と労働の語彙で語られるモノの思弁哲学を再構成した。これを批判する二つの知がある。その一つは、博識と経験知と理念の「カントへ帰れ」「私は市民として話す」だ。フーコの方向だね。もう一つの知は、私の不十分な…