リゾーム的「ー性」「ー的」

リゾーム的「ー性」「ー的」

「国会を私物化した自己宣伝は許されない☹という言葉が通じる相手かしら」という見事なわが皮肉の言葉を英訳しようとして、「国会」の語のまえに定冠詞theを添えるかで考え込んでしまいました。theをつけるかつけないか、それが問題だ(笑)。theを添えると<建物の場所、千代田区何丁目にある')を表し、添えないと<'国会という討論する公の場'>を表すのですね。大きな違いです。theをつけるかつけないかこの英語の組み立ては、対象(例、国会)についてなにを相手に伝えたいのかに依って決まりますが、経験的に、相手との会話の中で決まってくるものですから、あまり自由がないのです。話を絞り込みますと、不定冠詞 a の場合は、不定冠詞そのものの抽象性を読まなければなりません。母国語の中に、西欧語の不定冠詞ほどの厄介な抽象性が無いかといえば、然(さ)にあらず、「ー性」「ー的」という漢語的使用で表現できますね。これは西欧語の翻訳の歴史のなかで工夫してできあがった表現の形式で、中国語の本来の使い方「ーの」とは必ずしも同じではないと指摘されています。例えば、哲学の本のなかでいわれる、「外国人」と「外国人性」の間には差異があります。ここで、「外国人性」でいわれる意味をかんがえるとき、 「性」についてはあれやこれやと先験的に考えることが必要です。これについて、たとえば、<外国人になること> To be a foreigner、というドゥルーズの言葉を読むときは、<外国人性に成ること>、というふうに考えるのが正しいとおもいます。それにしても、見たことも聞いたこともない、この外国人性ってなに?といういかにも言語の違和感のなかで色々と考えることになりそう。 (思考の自由がいっぱい。そのときあなたはすでに「外国人性」!物質的に数えきれないほど増殖していくN個の<これ>を、同時に反対の方向に、1の<これ>に向かって観念的に依拠させていく運動性、<これ性>をかんがえてみませんか?)