社会があるから世論があるのか、世論があるから社会があるのか?

昨夜はchirashi とメニューにあるからどんなもんかと頼んで食べたら、さすがイタリア人、間違っていないんだな。ほんと味覚がいいと思った。思い返すと、イギリスなんか食べものはなにもかも間違いだらけ。乱暴な話、地球の半分を植民地にしていたのだからもっと食に多様性があってもいいと思うのだが。ただあそこはジャーナリズムがある。エイゼンシュテインの「戦艦ポチョムキン」の水兵の反乱は腐った肉を食わされたことから起きた。コックに対して飯が不味いと言えないところは民主主義がない、英国は1950年代なでコックに文句を言えなかった、だから民主主義がないんだというようなことを分析しているのは、ジャーナリズムなんだよね。
社会があるから世論があるのか、世論があるから社会があるのか?分かりませんが、イギリスでは戦争へとどんなに悪い方向に行っても報じているかぎり社会があると思ったものですが、日本では社会そのものがないようです、報道も秘密保護法以前に自ら消滅したかのようです。3、11以降報道の役割が決定的になってきたのにですね