折り目 pli, pliure - フーコ「言葉と物」の用語

 (1)

起源とは、それよりずっとさきに、人間一般が、あるいはどのようなものであれ任意の人間が、労働や生命や言語というすでにはじめられているものとみずからを連接させる、その仕方にほかならない。

L'origine, c'est beaucoup plus tôt la manière don't l'homme en general, dont tout homme quell qu'il soit, s'articule sur le déjà commence du travail, de la vie et du language;....

だからそれは、そこで人間が、数千年来手をくわえられてきた世界にたいしてまったく素朴に労働し、はじま...ったばかりのはかない唯一無二のみずからの実存の新鮮さのなかで、有機体の最初の形成までさかのぼる生命を生き、どのような記憶よりも古い語でいまだかつて語られなかった文(たとえ数世代がそれを繰り返してきたにせよ)をつくる、あの折り目のなかに求められるべきであろう。そうした意味で、起源にあるもののレベルは、たぶん人間にとって、もっとも自分に近いものであるはずだ。つまりそれこそ、人間が無邪気にもつねにはじめてと思いこんで巡歴し、そのうえに彼のやっと開いたばかりの眼が、彼の視線とおなじように若い諸形象ーそれがつねに彼と同じように若いからというのではなく、彼とおなじ尺度もおなじ基準ももたぬ時間に属するという逆の理由から、人間とおなじように年齢をもちえぬ、そうした諸形象ーを発見する、あの表層なのである。(フーコ;渡辺一民訳)

 

(2)

問題は...経験的=先験的二重性である。このような<折り目>のなかで、先験的機能は、その有無もいわさぬ網目によって、経験的領域の動かぬ灰色の空間を覆い隠しにくる。逆に、経験的諸内容は、活気づけられ、すこしづつ立ち直り、立ち上がり、その先験的たらんとする思い上がりを遠くにはこぶ言説(ディスクール)のなかにただちに包摂される。こうして、この<折り目>のなかで、哲学は新しい眠りを、<独断論>のそれではなく<人間学>の眠りをねむるのだ。(フーコ「言葉と物」; 渡辺一民訳)