痕跡というのは消し去ることはできない。痕跡はかならずのこるという。痕跡の問題を表現するのは現代アートである。諸々の時代の記憶が定位しているはずの整然とならべられた複数の箱・引出し・部屋に、しかしカオスの力が働いた痕跡が不可避的に残ってしまうのである。

痕跡というのは消し去ることはできない。痕跡はかならずのこるという。痕跡の問題を表現するのは現代アートである。諸々の時代の記憶が定位しているはずの整然とならべられた複数の箱・引出し・部屋に、しかしカオスの力が働いた痕跡が不可避的に残ってしまうのである。カオスの法則は、アートのセリー(系列)だけではあるまい。ほかに、映画史、文学史あるいは思想史の痕跡のセリーにおいても、カオスの法則は、発散し脱中心化するものの展開における自己自身の反復、自己自身の再生産にほかならない。痕跡とはなにか。痕跡とは、なにか自己自身に向かう差異のプロセスがあったこと、もしかしたらまだそれが終わっていないことを示す徴だとしたら、いったい現在の自分にどういうことになるのか?なにが現在進行中であるのか分からないのだけれど、たとえばしっかりと紐を結ぶことができないこと(街を歩くと五分で靴ひもがダメに)、きちんと蓋をとじることができない(冷蔵庫を開けると蓋のとれた瓶から牛乳が飛び散る)こと、語るにも値しないこうした卑近な所作こそが少年時代の過去に同化に抗した痕跡ではないかとやっと気がついてきた。靴ひもを結べ、蓋をしめろと注意されるとその言葉に苛立ったのは、自分にたいして苛立ったのではなく、痕跡を消される圧力に苛立っていたのかもしれないけど。だが痕跡の意味を読み解くにはあまりに遅すぎたようだ、手遅れだ。しかし痕跡とはいつもこういう遅れなのかも。現在進行中の行為?がなにかとはっきりと定まらないが、気が付かずに新しく始まっていたとしても、すくなくとも、<一つの始まり>しかなかったということは悪い冗談だ。(精神分析が指さすような<一つの始まり>しかなかったとしたらやはりそれは目覚めるべき悪夢だろう)