「日本書記」は中国の知識人と朝鮮の知識人、そしてかれらに育てられた日本知識人との共同作業だったことの意味

声しかなかった(といわれる) 時代は、空間的でない(いきなり始まる)、感覚的でない(ずっと赤色)、外部的でない(他国との連結がない)。そこに、「自分が=語るのを=聞く」という純粋な声の経験を重ねよと「世界史対照年表」はいうのだろうか?無理無理。文字を読む人々の、文字なき人々への勝手な思入れ、偽の歴史概念にすぎない。根底に、歴史修正主義権威主義がある。

どんな国も他の国によってみとめられなければ存在しないということが理解されていませんね。ほかの国の公の記録がなければただの自己証明でしかないこと。また7世紀に先行して1000年間の圧倒的な文化が中国にあったことなどを考えると、7世紀以前は、中国から離れていきなり誕生したとは考えにくいこと、おそらくは中国と朝鮮と日本との区別がつかないくらい一体だったか、百済王国の地方だったのではないですか。戦争の敗北の結果、独立する必要に迫られるなかで、「日本書紀」のような、国家のアイデンティティーの記録が編集されることになりました。ただしそれは中国の知識人と朝鮮の知識人、そしてかれらに育てられた日本知識人との共同作業だったことによく注意する必要があります。ちょっと考えれば当たり前なんですけどね。だから戦後憲法についていうと「アメリカ人に押しつけられた」と特別に残念に思う必要などありません。そもそもこの国は最初から他者との共同作業で成り立ったのですから。残念に思わなければならないことがあるとしたら、敗戦後に憲法に誓った徹底的な平和戦略を実現することに向けてそれほど十分に努力したのかということ、努力したとしても自民党政府に敗北させられてきたこと(朝鮮戦争ベトナム戦争イラク戦争)。日清・日露戦争を侵略戦争とみとめない歴史修正主義者の発言をゆるしていること。「古事記」ブームが神の国があったという'古代史'を実体化していることなどです (「日本会議」の方向)。