ケルト特別展、大英博物館に来た

ケルト特別展、大英博物館に来た

展示されたケルトの首飾りを見ると、ジョンケージが緩やかに描いてみせた水に流れるような輪の連なりを連想した。ケルト人はおしゃれだった。だから彼らはできるだけ着飾るために遠くと交易をした。そうしてこの集団は自らを他から差異化するために装飾を工夫していったのだ。このことは、ケルト人が自らを侵入者のローマ人やアングロ・サクソン人から差異化する方法だったと考えられている。注目すべき最新の研究によると、ケルトと呼ばれていた集団が複数の民族であったこと、また彼らの間で互いに類似しあった文化を共有していた可能性のことが指摘されはじめた。文献的にはケルトの意味ははっきりしない。古代ギリシャ人は自分の周辺の人々だけでなく今日のトルコに棲む人々もケルトと呼んでいた。ギリシャはイギリスとアイルランドケルトの記述はない。ここでケルトを一つの民族、一つのアイデンティテイーとするのは近代の18-19世紀的国家の読みにすぎないことに注意しよう。レヴィ-ストロースがヨーロッパの基底にケルトが存在したと言うようには... 。文化論的隠蔽が常に起...きる。近代のゲーテは、ルソーがインデイアンを発明したように、ケルト人を発明することになった。さて展示全体を眺めてみると、ローマ、アングロ・サクソンビザンチンイスラムなどの交通を通じてケルトの装飾が発展していく様子がわかるので、比喩的にいうと、具象的に精緻な装飾を成り立たせる与件としての抽象フレームが変化していったことを考えてみた。メビウスの輪、動物が互いに向き合う交差、十字架、本のアルファベット文字、円と長方形の幾何学的配置。デザインの専門的知識はないが絵描きとしての直観からいうと、ケルト的な迷宮はそれほど予定調和的に共存しているようにはみえない。しかし私の関心を占めるのは、ルネッサンスのときには消滅し切った装飾ではなく、二〇世紀のジェイムスジョイスの文学「フィネガンズウエイク」である。30年代に完成した文学作品は僧侶による古代ケルトの写本を利用して書かれた。この意味はなにか?FW は、多様性を一つのアイデンテイテイーに還元してしまった、イエーツの近代に対抗する仕事であったことは間違いない。ゲール文芸復興が企てるようには、絶対的に死に切った過去を蘇えさせることは無理なのだ。ただできることといえば、読むことができないテクストとの絶対の距離、死に切った過去との絶対の距離の意味を考えること。夢の多言語的言語は、文字の可視的な領域の限界に絡み取られながらも外部に出ようとする宇宙の劇場と形容されるほどの宇宙開闢のエネルギーの痕跡をつくりだしたかは、ジョイスにとってもわからないだろう。ただ、われわれがどこから来たのかという起源の言説をおしつけてくるファシズムと戦争の恐怖から、自分の空間と時間の外部的位置を確立するしかやっていけなくなったのではないだろうか