ダブリンの反戦デモ

ヨーロッパEUとの関係よりもアメリカとの経済関係をどんどん深めていったいわゆるバブル化の時代にあって、当初、アイルランドでは、シング、ジョイス、ベケットの文学、(年間5本程度を生産する)マイナーなアイルランド映画の歴史、そして80年代に世界演劇が注目した(地域紛争をテーマにした)アイルランド演劇を学んで東京に戻れば一応の収穫かと考えていたが、ところが、イラク戦争の年、抗議する人々がどんどんと街頭に現れはじめたとき、予定調和的に確立していた街の'自然な'風景が私の中でガラガラと壊れ始めた。米軍による現地空港使用も食糧運搬という限定的なもので、中立国アイルランドは事実上、戦争当事国ではなかった。それなのに普通の人々が空爆される遠い国々の人々に心の中心から同情し街頭に自発的に出はじめたのである。テロ組織だけを効率的に空爆するという発表を嘘だと見抜いていた。はやくから、ダブリンの米国大使館前でイラク空爆に反対する人々が500人が集まる。資本と投資を齎す友好国アメリカにアイルランド政治家が遠慮して何も言えないなら、われわれが正しいことを伝えるしかない。これは対立の危険性がある。温和なアイルランド人にしては大変な事件だといわれた。反戦デモの経験がなかったが、中央街頭を一緒に歩いた。到着したとき、HIROSHIMA、NAGASAKIの文字が地面にみえた。反戦運動の様子を撮ったフィルムを現像して貰うお店から警戒されている雰囲気を感じた。だが、空爆に反対する街頭の人々は約三か月後には10万人に。ぎゅうぎゅうで足元の地面が見えなかったほどだった。そのときには、頼んでもいないのに、渡したフィルムを無料で現像し写真にしてくれた店が幾つかあった。(勝手に焼き増した写真を仲間達で分け合ったようだ。そのお礼だね)イースター蜂起のストライキのときもこれほどの人々は集まらなかった。反戦運動を意味する以上の新しいなにかが始まったと新聞で論じられた。photo by takashihonda