思想地図、ただしただし袋小路の現代の思想地図

思想地図

ただし袋小路の現代の思想地図。今日、いかに、思考を成り立たせなくするブラックホールから脱出することが可能なのか?いかに、テクストを、外部へ繋げていくのか?包摂されることになった行き詰った文化多元性から、政治多元性の戦略へシフトできるのだろうか?例えば、反復される歴史のリズムと声高に宣言する「世界史の構造」は次に「帝国の構造」で、帝国の支配の正当性をいうことになったが、これでは19世紀・20世紀の国家と民族の時代遅れの捕獲装置の言説へ戻る危険があり、日本近代のあり方を批判的にとらえることに失敗している。またそのような視点としては従来、「大正」の視点が支配的だったが、現在あらためて「大正」を読むときー日比谷公園焼き討ち・大逆事件から満州事変までとする期間として「大正」を再構成するときー、統制として民主主義を囲い込んだ大正デモクラシーの限界と、それを復活しさえすればいいとした今日に至る民主主義の言説の限界が明らかになってきた。さて、小田実がいう市民的な「でもくらてぃあ」のワイワイガヤガヤwaiwaigayagaya、ウヨウヨウロウロuyouyourouroは、グローバル資本主義と帝国の危機的時代に抵抗する市民とその自発性のことである。この思想はすでに幸徳秋水大杉栄の言説ー人間の自発性を国家の中におくのではなくその外におくという思想ーに言われていたのであり、語られなかった大正が市民の側から現代に反復してきたことがいえよう。このような市民の側から、日本近代のあり方を批判的にとらえる課題はそもそも、江戸思想のときから非連続性をもって連続的にはじまっていたとあえて構成したいと思うのは、伊藤仁斎の思想が東アジアの知識革命をなしたという事実による。東アジアの市民の思想の歴史を示す思想地図は、西欧の近代化に巻き込まれながらも、西欧の近代化が果たせなかった課題を担って、市民の自立と連帯を抑圧するグローバル資本主義の分割である帝国を巻き返していくという運動体の流れをあらわしている。また2015年、自由に喋る行為を非難しないでくれという主張がはじめて現れたのである。喋ることができなければいかに考えるのか?この主張は以前に一度も言われなかったものである

 

追加

17世紀の書物

童子問(どうじもん)は、江戸時代前期(17世紀)の儒学者伊藤仁斎が著した漢文体による問答形式の儒教の概説書。円熟した仁斎は過去の自己自身に向かって質問し、初学者として想定した自己自身に答えている。ここで仁斎は「論語」を読むときの思想転換が必要だと書いている。「知り難く行ひ難く高遠及ぶべからざるの説」ではなく、「平易近情」(日常の状態)のことが「論語」の中心的テーマとして書かれてあるということを強調している。「知り難く行ひ難く高遠及ぶべからざるの説は、乃(すなわ)ち異端邪説にして、知り易く平正親切なる者は、便(すなわち)是(これ)堯舜(げうしゅん)の道にして、孔子立教の本原、論語の宗旨なり」という。子安氏の解説によると、これは根底的な逆説を示している。さて、たとえば、今日自民党安倍が言う「美しい日本」などは、「知り難く行ひ難く高遠及ぶべからざる」の説だろう。他方、「人間が一人でも飢えたらその国はだめだ」は、たしかに理想としてかんがえられるけれども、「知り難く行ひ難く高遠及ぶべからざるの説」とはおもわない。それは寧ろ、経験知としての「平易近情」がただす理念といえるのではないか。そうすると、理念とともに「平易近情」を否定し尽くす美しい国の聖人如き救済神学に未来を委ねていいものだろうか?そうはおもわない。この点については、17世紀の書物は、道徳的次元から批判的思考を促すが、ただこうした近代のナショナリズムの展開のことは知らないから、自分で考えなければならない問題である。ここであらためて自分に問う。人間にとっての人間の「平易近情」の意味はなにか?やはりそれは、ほかならない、他者との関係に生きる人間のことではないか。人間の向こう側には何もないと思うこともあるが、しかたがない。それを問う人間自身も含めてなにもかも全部がゼロとなってしまうことが起きないように。