「君子は中庸に依る」、と、「論語」は朴実であれという。だがそれほど簡単ではないのはなぜなのか?

「君子は中庸に依る」、と、「論語」は朴実であれという。簡単さにこそほんとうの道が開かれているのだからと説く。だが現実にはそれほど簡単ではないのはなぜなのだろうか、と、「童子問」の伊藤仁斎は問う。古代のあり方の理念型はどうしても必要となるのだ。理念型は避けることができない。朴実の理念型を常に古代に求めることで、朴実でいわれる実践(行為)が非常に難しくなるという問題を、伊藤仁斎は鋭く意識していたという。決して単純ではないー和辻が「清明心」のアイデンティティーを古代に求めたようには。ところでこれにかんしておもうのは、ビクトリアン朝イギリス帝国から自立しようとしたアイルランドの文芸復興運動によって戦略的に導かれた歴史のことである。独立後に、古代のあり方としての理念型に絡みとられることになったとき、それを完全に棄てるべきか、あるいは、新たな理念型を発明すべきだった。だが発明に失敗した結果、再びビクトリアン朝の国家が独立アイルランドに誕生することになったとする痛い指摘もある。ポストコロニアル時代のラテン・アメリカ、アジア、アフリカの問題を包括的に考えるために非常に大切な視点となるのではないかとおもうよ。