網野義彦『無縁・公界・楽――日本中世の自由と平和』(1978) について

網野義彦『無縁・公界・楽――日本中世の自由と平和』(1978)に、(映画監督の溝口の)溝口史観のことが興味深く言及されていて、網野はアンチ溝口史観らしいのですね。溝口映画を一生懸命みていたときがありましたから、たかだか映画に中世をめぐる解釈と歴史観が衝突していたのだと知って大変驚きました。▼文献学的読みとアンチコミュニズム天皇制構造論で貫かれた、方法論網野の本は、そのまま読むとあっという間にやっつけられてしまうというか(笑)、疑問を全然もたなくなるわけですが、「異形の王権」を読んだときは「本当にそういうことが起きたのか」と違和感をおぼえました。▼武士の時代にあって、武士に対抗するために、国産の貨幣をつくり商業空間を掌握することで古代王権を復活させようとした天皇の物語を読まされるわけですが、なにか外部からみた観察が欠けてはいなかと不安に思いました。▼後醍醐天皇を想像するときに、朱子学に熱心だったというエピソードのほうがリアルというか説得力があると感じられることもありましたが、しかし近世の江戸の学者がいかに朱子を読んだかを知ることは容易でないのに、...はるか中世の時代の天皇がですね、朱子学をどのように読んだかなんてそれほどはっきりいえるのだろうかという素人の疑問が。身分秩序の固定化についていわれますが。▼何に関して「熱心」だったかわかりませんが、ただ天皇・貴族・寺社が学問を独占していて、そういう学問の一つに朱子学があったということはたしかで、ほんとうに「日本史を一貫した正当性によって解釈しようとした」かどうかは議論の余地があると思いますが、(ないのですか?)わかりませんが、武士たちが嫌った僧侶の内面的な祈りみたいなものが朱子学にあったというか...
▼「後醍醐天皇による建武の中興は、朱子学の影響がその背後にありますね。そのとき、北畠親房によって書かれた「神皇正統記」などもそうです。彼らは朱子学にふれて熱狂し、天皇親政ということをやりはじめた。北畠親房を筆頭に、彼らは日本史を一貫した正当性によって解釈しようとし、その結果、必然的に天皇親政にんったのです」(柄谷「言葉と悲劇」)