ポピュリスムについて

浮動票は、なんとなく良く知らないのに、女性だから、自民党じゃない気もして、あみだに委ねる感じでうっかりと、投票してしまう。ヨーロッパで起きているように、右左の間で互いにポピュリスムだと非難し合って、実体なき言葉がグルグルと流通するようになったとき、選択ができないと判断できなくなった棄権率が上昇、これが将来のより大きな浮動票を形成していくこともあるだろう。議会民主主義である限り、合理的な範囲でのある程度のポピュリスム的なものは不可避かもしれないが、常に反証の精神をもって議論し合う必要があると思う。特に安倍の言葉を検証しなければならない。それにしても、東京のなんとも曖昧な中流層のなかで、在特会の如き極右が訴える言葉に簡単に乗っかる者たちが存在することだ。税金のおかげで移民・難民・外国人は「豊かさ」の高みにおり、他方でいる税金を払う中流は「貧しさ」の底辺にいるなどと、極右が物語る歪んだ転倒した世界像を受け入れるの?全体からいって現実は逆だ。問題は、ファシストの窮極の狙いだろうが、こうしたプロパガンダに翻弄された大衆がなにもかもうまくいっていないと思い込んでしまって絶対の孤立のようなものを感じるときになにが起きてくるかという問題である。ここから、一人の指導者との一体感を求めるような極端な反動が生産されていくという可能性もあるだろう。ナチスのときはこの危険なことが起きたと分析されている。単純に同じことは繰り返されないだろうが、今年から確実に、曖昧な中流層、曖昧な知識層が捕獲されはじめてきたような気がする。わたしの心配し過ぎなのだろうか?pointlessなのか?だがわたしは沈黙しないでいこうとおもう