トランプが主張している「白人」とは何か?

  • アイルランド人は長い間、「白い黒人」と呼ばれて差別を受けていた。そのアイリッシュは、移民としてアメリカに行ったときイタリア人とともに、イギリスへいったユダヤ人のように、ナショナルな白人マジョリティ世界から分離しているとみなされた。しかし現在はその白人マジョリティ世界の一部となっていて、「白人」としての人種的特権を享受している。曖昧に、日本人は自分を「白人」となんとなくおもっているだろうが、旅行者の立場ではわからないままだが、海外にすんでみれば、日常の生活において、かれらの視線のなかで、「黒人」として扱われるか、「黄色人種」であることを知らされる。「白人」の一部ではない。遠藤周作の小説について考えてしまうのだけれど、しかし問題となってくるのは肌の色だろうか?映像が観念に先行するのか?否、逆に、観念が映像に先行するのではあるまいか?トランプが主張している「白人」とは何か?をかんがえてみると、たぶん、特権的に「白人」であるということは、証拠づけられる事柄ではないのだろう。「白人」であることは、ただその「他」であることはないという信念的命題なのである。この信念的命題は永遠なのか?そうともおもえない。それならば、いつ、この信念的命題の独立性が消滅するのか?アイロニーであるけれども、それは、「他」に依存しているという普遍主義を覚醒するときではあるまいか?再び現実世界に眼をやると、いつ、トランプとかれの支持者たちは自分達が、「他」に依存しているということに気がつくのか、やはりそれはそう遠い日ではないだろという気がする。「白人」であることの主張はグローバル資本主義に対する抵抗の形なのだ。「白人」であるかそうでないかという分節と排除はもう意味をなしていないーグローバルデモクラシーがなければだれももうやっていけなくなるという時代においてはっきりしている

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