ウィットゲンシュタイン「探求」第二部はアイルランドで書かれました

私は8年間ダブリンにいました。「探求」第二部は二年間かかって、このアイルランドで書かれました。なぜ、ウィットゲンシュタインは、切り離してはいけない、無理に統合する必要もないような「ウサギーアヒル」の知覚図を哲学に示したのでしょうか?完全性と論理性で構築する一貫性のこだわりがかえって「確実」という名の「バベルの塔」を未完に終わらせたことを知らせるために話した、そして、ほかならない、ここから初めて人間が見えてくるかもしれないと伝えたかったからと私はおもっていますがね...。19世紀ならば「大英帝国」とか、21世紀今日ならば「世界帝国」とかが「バベルの塔」と等価のものでしょうね。色々説がありますが、ウィットゲンシュタインアイルランドでなければ言えないことを初めて話したと私は考えようとしています。