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‪‪‪「弁名」ノート‬ No. 10 (私の文学的フットノート)

‪‪‪「弁名」ノート‬ No. 10 (私の文学的フットノート)

‪ 中国でもっとも自由な言論が活発に起きたのは、辛亥革命後の短い期間と百家争鳴の時代だったと指摘される。思想闘争が生じたからといって思想の多様性を生み出すことになった、それぞれの道を切り離してはいけないし、無理に統合もできない。先王の道というものは、これを儒家道家や法家という枠組みで定義し分類して整理する必要があるのか?

子安氏の評釈によると、「大なる先王の道は、儒者の道になることによって小さくなってしまうと徂徠はいう」、「儒者の道というのは、先王の道が儒家による道の定義を通じて小さく限定されることである。この道の定義と意義の限定とは当然言語によってなされていく。それゆえ道がそれぞれの道になっていくというのは、道が言説化されていくことである」。‬

「師を孔子として他者から区別し、自らを儒者と称して百家から区別する。他に相対して自らを区別することは、自分を小さく限定することである。それゆえ君子は孔子の道、儒者の道と時にいうことがあっても、それらは常にいう言い方ではない。」(子安訳、「徂徠学講義」)

「それ道は、先王の道なり。思・孟よりしてのち、降りて儒家者流となり、すなわち始めて百家と衡を争う。みずから小にすと謂うべきのみ。(そもそも道とは先王の道である。だが歴史が降って子思や孟子以降になると、儒者家流の道となり、百家と道の優劣を争うにいたった。それは先王の大なる道を自ら小にするだけのことだというべきである。)」『弁道』