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ゴダール「カルメンという名の女」

黄金時代といわれる80年代のゴダールカルメンという名の女」の事実上脚本を書いたパートナーのAnne-Marie Miéville。ラカンの研究会にずっと出ていたということから、映画にラカンの影響を読み取る批評家が多いですが、どうでしょうか?精神分析について詳しく知りませんが、比類なき大きさに出会い、対象aという徴をつけたくなるような...。これぐらいの大きさをもったものは、全映画の歴史のほかに私は思いつかないわけです。世の中の観られたすべての映画を「編集」するといわれた「映画史」の最終章のタイトルは、「徴」という言葉がはいる「徴は至るところに」でした。編集のリズムの人間におけるものとしての身体をいうゴダールのこの身体のとらえ方は、Anne-Marie Miévilleの介入が可能にした再構成であるといえるでしょう。初期の「アルファビル」と比較すると、「映画史」におけるゴダールの編集のリズムがいかに発展していくかを知ることができるとおもいます。

まだ21世紀は名がありません。19世紀は19世紀の名を得るのはそれが発明した歴史の感覚によるのでした。19世紀は歴史の感覚を文学と美術に与えたのです。ところで映画史というのは僅か百年で消滅したが、芸術の四千年より大きいのです。なぜだろうか?私は自身に問います。芸術は映画を排除します。その理由は映画が憑かれているおぞましい偶像崇拝だけではないでしょう。恥ずべきことに、世俗的な映画は現実と混同することになったのです。だからこそ、映画史は20世紀が生み出す無秩序に抵抗するために、無秩序を生産していくことができたのではなかったでしょうか