市民とは何か?まだわからない...

‪人間が有限であり、言葉の極限に人間が到達するのは彼自身の中心ではなく、彼を規定する縁、死が彷徨い、思考の消滅、起源の約束が無際限に後退していくあの領域で、文学が注釈学によって活気づくのは。ここで止まっちゃいけない。「人間」と言う限り、西欧知の真実性の奥に絡みとられるからね。どうすりゃいいんだ?まだ答えは無いが、丸山真男の戦前講座派を包摂した「市民社会」概念が破綻し尽くしているので、とりあえずそこから「市民」という言葉だけを取り出して新しい意味でつかおうとしている。ポスト構造主義以降の「市民」とは何か?まだわからない...。ところが批判性をもった知識人であることよりも、批判性をもたない文化人であることを選んだスマートな若手の思想家たちから、「帝国の経験」に即して自分たちを作り直せるというようなことを言われちゃってもなあ (「民主の経験」はどうしたの?)