「弁名」ノート‬ No. 28 ( 私の文学的フットノート)

荻生徂徠はこう言う。「孔子のいわゆる『人を愛す』とは、民の父母たるを謂うなり。苟も民を安ずるに非ずんば、いずくんぞ以て民の父母たるに足らんや」(孔子が仁を『人を愛す』と言ったのは民の父母となることをいったのである。民の生を安らかにすることなくして、どうして民の父母たることができようか。子安訳) 徂徠の社会全体の視点をもった彼の言葉を現代社会に適用すると、このこととして理解できるのではないだろうか。アベノミックスの破綻をみとめず、代替案を議論もしない。あたかもその破綻を隠蔽するように「教育勅語」の破綻し尽くした天皇ファシズム家族原理を再び言い出すことをやめよ、と、このことである。

‬徂徠の批判はそれを読む者に論争と議論を教えるというか。 さて徂徠は仁斎の拡充説を批判している。 子安氏の評釈は、仁斎の道徳拡充説と徂徠をとらえる。

(子安訳) 仁斎先生は、「慈愛の徳は、遠近内外を問わず、充実して至らざるところはない」(『語孟字義』)という。これもまた孟子にとらわれ、一人一人に属しめている。さらに仁とは最終的に民を安らかにすることにあることを理解せずに、‬‪仁をただ慈愛をもっていうだけである。したがってその弊害は、釈迦をも仁人としてしまうことになるのである。大きな過りではないか。しかも孟子のいわゆる四端の拡充の論は論争的な性格をもった言説で、もともと仁を実現する方法を語ったものではない。孟子は拡充によって仁を成すことを、一星の火が燎原の炎として燃え広がり、一寸の苗が天に達するほどに成長することに譬えている。だが無理に押し拡げ、引き伸ばそうとするならば、火は消え、苗は枯れてしまうだろう。火を拡げるのに風をもってし、苗を伸ばす雨露をもってし、はじめて燎原の炎となる勢いも、天に達する成長の勢いももつことになるのである。人間においてみそうだ。礼楽をもって養い育てることを経て、仁徳は成るのである。先王の道を理解しないものは、礼楽は人間にとって外物であり、自己の内のものではないといい、外物である礼楽による徳の形成を否定する。これは読書礼楽という聖人の教えを信じないで、自己なりの私智をもって仁を成そうと欲するものである。風と雨露とは外から仮りるものなのに、それがもたらす 力はかくも大きいことを、なぜ彼らは理解しないのか?礼楽の道とは、「識らず知らず、天帝の則に順う」(『詩』大雅)ものなのだ。風雨とはまさしく天からのひらけというべきものである。仁斎ち朱子と宗儒とは、同じように学無く術無きものである。‬

• 徂徠を読むと、理が破綻しているのになおなんでもかんでも理から説明しつづけることを批判するとき、学問というのは、依拠できるものが理の内部に位置づけられないことを考えさせようとするといわれる。依拠できるものが言葉にならないと聞くと、(近代的な意味で)神秘主義の非合理を思うが、しかし知識人が言うそれはそうではない。ここをよく考えると、(朱子や仁斎の)破綻しているかもしれないのにその理が疑問もなく一体化しているような言葉に依存しても、解決に結びつくことがあり得ない (「民の生」を安らかにすることができない)。無理に言葉で説明するとズレてしまうことがおきる。唯物論的とまではいえないが、「礼楽は外物なり、我に在るものに非ずと」という徂徠の議論を行うことを重んじる方向性をもった彼の言葉に向き合うことになる。『弁道』で徂徠がこう言っていることに子安氏は解説している。人から与えられる礼楽の教えを重視するところには、人の心への次のような徂徠の見方があるという。‬ ‪「善悪はみな心を以てこれをいうものなり。孟子曰く、「心に生じて、政に害あり」と。あに至理ならずや。然れども心は形なきなり。得てこれを制すべからず。故に先王の道は、礼を以て心を制す。礼を外にして心を治むるの道を語るは、みな私智妄作なり。何となれば、これを治むるものは心なり。我が心を以て我が心を治むるは、譬えば狂者みずからその狂を治むるがごとし。いずくんぞ能くこれを治めんや。故に後世の心を治むるの説は、みな道を知らざるものなり。」‬ ‪