階級

チョムスキーがどこかで書いていたが、アメリカはずっと「無階級社会」という幻想を抱えているらしい。だが、フェミニスト系論客がトランプを支持する階級の存在を分析するようになったのである。われわれ学生にルカーチを読ませた労働法ゼミの教授の自問自答の言葉を思い出す。敗戦の荒廃からこの国を豊かにするのだというおもいは階級意識におけるものとして成り立っているといえるのか?古典ギリシャ語の文献をもち現在ヒュームの現文を読んでいて、最上階にある総評の事務所から眼下のデモの様子を眺めている自分はその階級に属していないにもかかわらず、階級について語ることができるのか?‬ルカーチからみて、ジョイス「ユリシーズ」には「階級意識」が欠如していて、ブルジョア的意識を反映した破片という評判の悪い非難がある。たしかにベンヤミンと同じものを見ているが、意味づけが全然ちがうというか。これでは、社会的存在は意識を決定するという公式的適用という感じもしたのだけれど、かれの文学に現れた階級意識という問題意識の立て方は意味がないわけではなかった。ただそれは、国民文学に現れた階級意識の存在を問うべきだったと考えるようになったのは、津田左右吉を読むようになったからかもしれない。階級についての意識の問題は、昨日の講義で言及された石田梅岩によるものだけれども...