特殊同士の対立とロゴスの対話的構築

フランス人のハラハラするほど対立し合う同士は共に食事の語らいの場を充実させることができます。それはわかるが、対立というのは、どうもね、日本を日本にする「和」の伝統と文化に沿わないものなのですよ。ほんとうにそうでしょうか?特殊同士の対立とロゴスの対話的構築は切り離してはいけません。この両者は日常卑近のもので、至る所にあります。例えば弁護士と検察は対決しながら共に真実を明らかにする責任を共有していて、われわれはこの裁判の構造をなによりも尊重してきたのです