劉暁波

「病死」(朝日新聞)とは一体なんだ!劉暁波が政治的に殺されたと世界は知っている。そしてこの問題の重要性を理解しているからこそ、ナチス収容所での思想犯の獄死と比較しているのである。習近平がアジアにおけるデモクラシーを殺した事実を、これからだれが隠蔽するのか?

‪もしサイードが生きていたら、政治的に殺された劉暁波について何と発言しただろうか?劉暁波は釈放された後、アメリカとかドイツに亡命せずに、隠遁という国内亡命を選ぶのではないかという予想があった。ところで物の見方が確立してしまうとその内部から別の見方をするのが非常に難しく、不可能かもしれないが、そういう場所を要請しないとやっていけなくなる。劉暁波は政治に関わらずとしても、そういう国内亡命の場所から、時代と対等な発言をしていくだろうと。だが無慈悲にこの予想が裏切られた。かれの釈放を待ち望んでいた人々にとっては、なんと、unfair(不公平)なことであるか?習近平劉暁波を殺す必要があったのか?そして劉暁波は死んだからといって、かれの思想と詩は消滅することなく、生きていくにちがいないー 中国スターリニズム毛沢東主義の決定的な終わりまで。確立した物の見方の内部からその中にそって他者を排除することで自己を拾い集めること、これはいつ終わるのだろうか?‬詩人はこのことを問い続けていくだろう

‪中国の検閲当局は劉暁波を追悼する言葉をソーシャルメディア上から徹底的に削除。そして劉暁波の散骨を要求。遺族は「返して」といっている。"「64」は墓碑のない墳墓"と劉暁波は書いたが、彼自身も存在した痕跡が消されてしまう"墓碑のない墳墓"に?だがデリダが言うように、痕跡は必ず残るのだ‬