ネオリベラリズムの思想 3

アベノミックスと呼ばれる安倍政権に体現された‬、ネオリベラリズムの近代は、17世紀において卑近さから語り始めた自らの画期的な視点を生かしているだろうか? 

17世紀の思想は、複雑な世界から自立しはじめている、簡単な世界の現れをみている。17世紀の思想革命は、複雑な世界をみる物の見方にたいして リアルにかんじられないときはじまった知識革命であった。同時代的に、アジアでも町人が推進した知識革命が起きた。「道あり人あり」という「道」よりも、「人あり道あり」の「道」のほうが価値があるのはなぜかを問うラジカルさをもっていた。ここから、仁斎は、当時東アジアを代表する思想ー朱子学ーにたいして思想闘争を挑んだ。改めて、思想革命とは何か、私なりに整理すると、それは、究極的に依拠できる価値あるものを学において発見していくことではないか。学の要請された意味。それは人においてはじめて可能となるものである。17世紀思想が発見した学びこそ、万人が依拠できる多数の入り口をもっている。近代は卑近さから語りはじめたこの画期的な視点を生かしているか? ‪「この道しかない」とする、1%と99%を分割しようとするネオリベラリズムの思想は学に値しない。それは「人あり道あり」の「道」ではあり得ない。‬