『仁斎論語』

‪「徳行とは孔子の学の全体を意味する。それは言語・政事・文学の三者を兼ねている。どうしてこれを一科とすることができようか。他の三者も徳行に本づかなければ...」(伊藤仁斎、子安訳)。

昨日からわたしはこの一文を繰り返し読んでいる。「全体」は「兼」ねているというが、それはどういうことかを考えているからである。「全体」を「一科」とすることは不可能だ。「全体」を「一科」としてしまうようでは、「全体」の必ずしも構成的に語る必要がないやり方で批評する自由がなくなってしまうからか。「徳行」といわれるのは、たんなる思弁のことではなく、行いを導くそれと一体となった批評精神で、自由のあり方と深い関係があるおもう‬んだよな。またこのような道徳批判の意味づけは芸術批判のそれを考えさせるものである。