MEMO

「非核化」は、ヘイトスピーチの交換ゲームをやめなければ見えない道筋だろう。大事なのは、「非核化」の方向に対して、このクニはそれに相応しいあり方になっていなければならない


‪安倍政権と日本会議がやっていることは、生者の論理にしたがって死者を利用すること。「生者エゴイズム」は死者を支配する。戦死者だけにあらず。官僚と共に自殺者に責任をおしつけるつもりだ。2018年の明治維新は、再び責任をもたぬ政府を作るのか?今度は誰のために?アメリカの為にか?‬


国家主席の任期撤廃を正当化する言説は「人類史」に言及します。天安門広場前抗議の事実が記憶されているのかどうかという問題がありますが、とにかくこの「人類史」から、「私たちが慣れ親しんできたような民主主義型のシステムを受け入れない」と主張します。それにたいしては、国家主席の任期撤廃によって、毛沢東のもとでおきた文革と同じようなことが起きないのかとする声がかならずでてくるわけですが、国家の近代がもたらした、対抗的な反近代の政治的災害、約2000万人の犠牲者がいたといわれる政治的災害の問題を語るとき、この問題を、権力の集中の問題と切り離すことが可能なのか?そして、僅かこの百年間のあいだに、日本帝国主義の問題も含めてあらゆる問題が複雑に絡み合って凝縮しているかたちで成り立っている中国政治の「人類史」は、自己の統一像を再構築しようとするときに、果たして、それほど簡単に、異質なものを消去していくことができるのでしょうか。また一党支配の官僚資本主義ではもはや格差の問題を解決できないことを、任期なき国家主席を正当化する言説が隠蔽してしまうことが起きないかなど色々考えていますけれど、議論が急激に活発になってきたところに、憲法改正後の言論の統制のあり方について非常に心配しています


Newscientistの記事にあるように、2004年に考え方をかえたあとに、ホーキングはダブリンのコンフェランスにきた。このときは一般のひとも会場にはいることができるというので、行こうとしたが、バスが全然来ないので、結局間に合わず、残念なことに、かれの講演は終わっていた。勿論専門的なことは分からない。ただこのときホーキングが発表したことはアイルランドにとって大変興味深いとと言う人たちがいたので、ずっと気になっていたのだけれど (アイルランドゲール語が事実上消滅した国だからね、消滅しきったという見方みあるが、とにかくそういうところからくる関心だね)

And he did it with flair – dramatically showing up at a conference in Dublin and announcing his updated view: black holes cannot lose information.


• Hawking’s breakthrough may have solved the entropy problem, but it raised an even more difficult problem in its wake. If black holes can radiate, they will eventually evaporate and disappear. So what happens to all the information that fell in? Does it vanish too? If so, it will violate a central tenet of quantum mechanics. On the other hand, if it escapes from the black hole, it will violate Einstein’s theory of relativity. With the discovery of black hole radiation, Hawking had pit the ultimate laws of physics against one another. The black hole information loss paradox had been born.


Hawking staked his position in another ground-breaking and even more contentious paper entitled Breakdown of predictability in gravitational collapse, published in Physical Review D in 1976. He argued that when a black hole radiates away its mass, it does take all of its information with it – despite the fact that quantum mechanics expressly forbids information loss. Soon other physicists would pick sides, for or against this idea, in a debate that continues to this day. Indeed, many feel that information loss is the most pressing obstacle in understanding quantum gravity.


“Hawking’s 1976 argument that black holes lose information is a towering achievement, perhaps one of the most consequential discoveries on the theoretical side of physics since the subject was invented,” says Raphael Bousso of the University of California, Berkeley.


By the late 1990s, results emerging from string theory had most theoretical physicists convinced that Hawking was wrong about information loss, but Hawking, known for his stubbornness, dug in his heels. It wasn’t until 2004 that he would change his mind. And he did it with flair – dramatically showing up at a conference in Dublin and announcing his updated view: black holes cannot lose information.


‪なんか、宇宙における映画スクリーンのような話なのよね


How black holes can erase information, but also retain it.


The idea is that when charged particles get sucked into a black hole, their information leaves behind a kind of two-dimensional holographic imprint on the event horizon. This means that while all the physical components of an object would be so totally obliterated by a black hole encounter, its blueprint lives on. ‬


官邸前にこれから抗議にくると思われる市民たちに対して、凄い数の重装備の警察車ですね。少数日の丸右翼が官邸前のスペースを陣とっていました。

Japan PM, finance minister under fire over suspected cover-up of cronyism  ー Reuters


‪「明治初年、維新の変革とは民衆にとって何であったかという問いとともに私は本論を始めた。民衆にとって維新とは国家の現前であるといった。また維新に始まる国家の政治過程とは民衆にとって国民となることを強いられる過程であったであろうともいった。こく味となることを民族に強いつつ国家は現実化していく。しかし、裏切られた維新をいうものにとって現前に現実化する国家はあるべき国家ではない。己における維新を語るものは、己における国家を語っていくだろう。だが真の維新によって実現すべき国家の語り方とは、あるべき維新という事後的な解釈によって観念的に純正化されたあるべき国家の語りとなる。国家革命として維新の変革を規定し、もっともラジカルに維新を解釈した北が、すべてを「国家の為に」という絶対目的化された国家概念を語り出したことは、維新による維新の語りが究極的には何であったかを告げている。いま維新をふりかけることが意味あるとすれば、日本の明治維新が生み出し、維新が実現していった国家とはいかなるものであったのか、またあるべき維新の語り出す対抗的国家増とはいかなるものであったのかを検証することにあるだろう。明治維新に続く二十世紀とはまさしく国家の時代であったのだから」(本書より)‬


‪「混在郷 (hétérotopie エテロトピー)」とは何か?‬


‪フーコの造語。utopia (ユートピア)との類比から作られている。すなわち、utopiaは、語源的にはギリシャ語の「ないこと」をあらわす ou と 「場所」をあらわす topos から出来ているが、ここでは ou のかわりに、「異質的なものを含む」の意の hétéroclite の hétéro がおかれているわけで、「それ自体のうちにいくつもの異質な要素を含む場所」の意味を付与されている。(渡辺一民 共訳 『言葉と物』の事項索引より)‬



子安氏はいう。「『ひとつの日本』が日本という一国であるならば、見捨てられた日本とは何なのか?あえていえばいくつものの異日本であるはずだ」(『日本近代思想批判- 一国知の成立)。ここで、見捨てられた日本として、言説<徳川ジャパン>から見渡されてくる、混在なもの(エテロクリット)の言説について考えるのだけれどね。