資本主義が根本的に失敗している理由

資本主義が根本的に失敗している理由を問う言葉がなくなった。資本主義は排他的に、ひとつの時制、ひとつの言説しかもたないからではないかー <現在化された未来>と<現在を正当化して解釈した過去>と<現在の現在>である。言説<資本主義>のもとでは、それは、特にアートと呼ぶ必要がないだろうが(たとえば、思想史と呼んでもいい)、初めから未来と過去にゆだねるしかなかった、開かれている、未完成な過程というものを考えてみることが成り立たくなってきたのではないだろうか。考えることができないことは、考えることができるチャンスでもある。(後期近代において問題となってきた考えることの限界から、思想史としての映画史が現れてきたのだけれど、むしろ解体思想史としての解体映画史と呼ぶべきなのだろうとおもう)