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樺太国境画定」(1906ー1907) プロパガンダの作品は、それ自身簡潔している抽象というか、読み解くべき過剰がないところにプロパガンダプロパガンダ性(増殖性)があるのだろう。あたり前といえばあたり前だが、厄介なのは、プロパガンダ作品を批判的に相対化しようとするこちらも簡潔の抽象に陥ることだ。そうして過剰なきもうひとつのプロパガンダを作っている。このことは近代化とそれに抗する反近代の関係と類似しているかもしれない。自己批判しながら少しづつ書きすすめるしかないとおもっている。近代の科学的測量は1833年に英国がアイルランドに行ったのが最初である。地図作成の目的のために、ゲール語の土地の名前がアングロサクソン化されることになった。その際、軍による住民達の立ち退きも行われた。聖徳記念絵画館の「樺太国境画定」の前に立ったとき、なんか、墓場にいるハムレットが骸骨を手にとっている場面を思い出してしまった。また彼らの見えない未来のことをどうしても考えた。領土問題は戦争によってしか解決しない、と。

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「不豫(ふよ)」「大葬」(1912)。絵画を説明する見出しは、「天皇のご平癒を願う人々」、「明治天皇の大葬の儀が行われる」とある。(ちなみに天皇の大喪の儀が行われた東京青山葬場殿の跡に建てられたのが聖徳記念絵画館だという。) さて民衆も、言説<祭政一致>もそれぞれ、ナショナリズムの意味の病でしかないものかもしれない。問題は、別の近代を以って、近代を置き換えようと望んだ民衆が言説<祭政一致>に行ったとき一体なにがおきるのかであった。忘れるわけにはいかない。近代は<失敗した近代>と<ユートピア近代>の互いに補い合う両方から成り立つ時代なのではないか?天皇憲法を与える主権者であり法律を留保でき統帥権をもつだけでなく、死者を主催する権力をもった。昭和十年代は死のオブセッションである。生命と非生命は対立するのではない。死からこそ生命の哲学が再構成されていくのであると。そうして表象は死と再生のユートピアにいくが、そこにとどまることはない。軍国主義と同じ方向性をもって、天皇機関説が否定されたあと権力が集中していく天皇ファシズムという名の大衆、狂気の民衆へ行くと。しかし言説<祭政一致>は民衆が作り出したのではないことに注意したい。戦後民衆史は隠蔽するが、(解体)思想史はこのことを明らかにできる。言説は知識人の問題に属するのだ