<image | deconstruct | Meiji Restoration 150 >
「不豫(ふよ)」「大葬」(1912)。絵画を説明する見出しは、「天皇のご平癒を願う人々」、「明治天皇の大葬の儀が行われる」とある。(ちなみに天皇の大喪の儀が行われた東京青山葬場殿の跡に建てられたのが聖徳記念絵画館だという。) さて民衆も、言説<祭政一致>もそれぞれ、ナショナリズムの意味の病でしかないものかもしれない。問題は、別の近代を以って、近代を置き換えようと望んだ民衆が言説<祭政一致>に行ったとき一体なにがおきるのかであった。忘れるわけにはいかない。近代は<失敗した近代>と<ユートピア近代>の互いに補い合う両方から成り立つ時代なのではないか?天皇は憲法を与える主権者であり法律を留保でき統帥権をもつだけでなく、死者を主催する権力をもった。昭和十年代は死のオブセッションである。生命と非生命は対立するのではない。死からこそ生命の哲学が再構成されていくのであると。そうして表象は死と再生のユートピアにいくが、そこにとどまることはない。軍国主義と同じ方向性をもって、天皇機関説が否定されたあと権力が集中していく天皇ファシズムという名の大衆、狂気の民衆へ行くと。しかし言説<祭政一致>は民衆が作り出したのではないことに注意したい。戦後民衆史は隠蔽するが、(解体)思想史はこのことを明らかにできる。言説は知識人の問題に属するのだ