市民的服従

‪公害裁判支援の運動のときにおもったのだけれど、市民的不服従はわれわれの問題ではない。国の問題である。抗議をやめてしまう市民的服従がわれわれの問題なのかもしれない。ここで、議論があるが国家的体制と考えてみて比較してみると、幕藩体制の政治的議論が危険だった時代は、民を安心させられない国に対しては道徳の領域での責任を問うことができた。「信なければ立たず」と。政治的自由は諦めるしかなかったが、支配者(武士政権)に服従していくかわりに、内面をもつことによって自立的な思想の形成が成り立ったのであった。さて再び現代に戻ってくると、戦後の問題は何だろうか?政治的自由はあるが、市民的不服従が少なく、市民的服従ならば服従しているで、巻かれたら巻き返せと自分たちの思想を形成しようとしているかといえばそういうことは殆どなかったようにみえることである。これは「日本人」の問題ではなく、戦後の問題として考えるべき問題だとおもう‬