MEMO

BBCヘンデルのオペラをながしている。なぜヘンデルがイギリスにきたのかと疑問をもったのでネットで調べてみた。‬

‪「1701年、ステュアート朝のウィリアム3世の時に制定された王位継承法に基づいて、アン女王が継嗣がなく没したため、1714年にドイツのハノーヴァー選帝侯ジョージがイギリス王ジョージ1世として即位した。ここからハノーヴァー朝という。」「ジョージ1世はイギリス王位とハノーヴァー選帝侯の地位を兼ねた。ジョージ1世は英語をほとんど解せず、しかもロンドンに馴染まずにハノーヴァーに滞在することが多かった。」(「世界史の窓」より)‬

‪これがハノーヴァーに来ていたヘンデルがイギリスに来るきっかけとなったんだね。‬ところでハノーヴァー朝の展開についてこうまとめている。‬

‪「ハノーヴァー朝はその後、ジョージ2世、ジョージ3世(1760~1820、アメリカの独立、フランス革命産業革命の時代)、ジョージ4世と続き、19世紀後半のヴィクトリア女王時代(1837~1901)に、大英帝国の繁栄期を迎える。」「イギリスの王朝名は、ハノーヴァー朝、サックス=ゴバーグ=ゴータ朝ともにドイツの家系を継承するものであったが、第一次世界大戦が始まった1917年に、ドイツ風の王朝名を改めることとなり、王宮の所在地にちなんだウィンザー朝となった。ジョージ5世(第1次大戦期)、エドワード8世(1936年、愛人問題で王位を放棄した)、ジョージ6世(第2次大戦期、映画『英国王のスピーチ』のモデル)と続き、現在のエリザベス女王(1952~)に至る。」(「世界史の窓」より)‬

ジョイス‪『ユリシーズ』は、ヴィクトリア女王を失ったあとの時代を背景にもっている。消費社会に、中流の上流に憧れるブルジョア化の時代感覚といわれる。1910年代にロシア革命アイルランドイースター蜂起が起きる。ジョージ5世は、革命の恐怖を感じた。政治との危険な関わりを避けるために宗教の守護者として自らの中立的なあり方を発明した。 現在は多文化中心主義のイギリスである。チャールズ皇太子の離婚が起きたときは非難されたけれど、別の見方もある。彼らが守護者としてある国教会の権威から距離をとるという意味で、多文化主義の方向に必ずしも矛盾しないとみる見方である。

浅田彰氏によると、フーコの『言葉と物』の翻訳は、ドゥルーズの翻訳と比べると、正確に行われて信頼できるのに、残念な事に、あまり読まれなかったらしい。この点が「言説」という概念が広く共有されていない理由なのか?アメリカとイギリスへ留学してフーコを学んで帰ってきた中国人学生たちのようにアジアで展開している言説の運動にたいして敏感にならない。日本のフランス思想が英語を見下しているのかもしれないが、もし和訳を読んでも十分に理解できないならば、英訳と共に読んで理解してみたらどうだろうかとおもう

日本会議の安倍によるこの前代未聞の待遇は?伊勢サミットから続いている国家神道復活、軍国主義の確立、次に米中から自立している天皇教を確立する為に、天皇のトランプに対する距離が意味をもつ。天皇習近平にとる距離も。東京G20迄に、左翼の総敗北がはっきりするだろう。それを許していいのか?

‪わたしは「きコクしじょ」らしいのだけれど、「日本人」が見上げる他者ヨーロッパのフランス帰りの連中とちがうようだ。見下げる他者アジアとも違って、わたしが4年間いたのは見下げられる半ヨーロッパのオーストラリアである。だから昔は「方法としてのオーストラリア」だったが、今は「方法としての江戸」「方法としてのアジア」に取り組んでいる。結局、言語が人生を命令してくるのだから、(逆ではあり得ない)、奴隷としてくたばるこのわたしがせいぜいできることといったら、方法としてある、言語のなかのXを避難所として見つけだすことではないかと思っている。シドニー時代の大家のユダヤ人女性に大切にされていたからということもあるかもしれない(わからないが)

‪Finnegans Wake (『フィネガンズ・ウエイク』)のFinnegansはアイルランドの神話的人物の名が示されているだけではない。Fin (フランス語の‘終わり’)とbegin(英語の‘始まり’)の意味をジョイスがこめたといわれる。 Finnegansをどう読むかは過去をどうみるのかという見方による。<はじめるためにおわる>という近代の資本主義的なありかたを読むひとは、乗り越えられていく過去は現在の部分を為すものでしかないと考えるだろう。ところが、Finnagainという読みによって、べつの理解もあり得る。講座で朱子語類の『鬼神論』を読んでいることもあるのかもしれない、死に切った過去の物の見方とともに生きるありかたを考えることが多くなってきた。終わりの反復、<おわるために終わることができる>は、ポストモダンの過去の見方である。それは絶対の過去と呼ばれたものではないかと考えてみるが...。死に切った過去の物の見方が禁じられるというか、絶対の過去を奪われた時代が来て、ひとは自殺するしかなくなったか、あるいは自殺に遅れて生きているだけになったのではあるまいか

フーコの本が二度読んでもわからないほど固有名詞を抹殺して理論化しているのは、詳しく書いて右翼に知識を与えないようにする警戒からだろう。「鏡の奥に映っているのはだれか知らないふりをしなければならない」。とくに極右翼にたいしては非難しなければならず、知識にもとづく説得に意味がないのだ

本物の民主主義は戦後から始まるという考え方を多分とっているようですが、こういう考え方は、戦前の戦争は例外的な出来事だったように暗黙に考えていないでしょうか。昭和十年代において軍国主義天皇に権力を集中した全体主義が一致してしまったのは、偽物の民主主義の例外ではなく、武闘的暴力が推進した明治維新の論理的帰結、一国民主主義の必然だったと思います。現在の東アジア諸国も政治的多元主義を抑圧する体制の側から明治維新の成功(!)を称える言説が広まっているという大変危ない時代です。古代からやってきた(?)憲法17条の様態である平和憲法があたかも自動的に守ってくれる未来に委ねればうまくいくのかと自問しています。連続的に考えることは無理です、すでに失敗したのではなかったですか