「方法としてのアジア」

ネオリベの言説「敵と競い合う世界」ー向こうからきた人はこちらに最悪の攻撃をしてくるからそれを想定して報いる必要があるーに対しては、それが拠るゲーム理論パレート最適的前提が社会民主主義的見方から再検討されました。また共同体を重視する倫理的な考え方からする反論もあります。ほかに、21世紀は、「方法としてのアジア」を導入せよとわたしは言いたいのです。それは、日本にだけでなく、グローバル資本主義の分割であるネオリベの中国にもアメリカにも要請されるものではないかと考えてみたらどういうことが言えるかですね。死に場所がないだけでなく生きる場所もどんどん奪われていくならば、人びとが自由に移動していくことができる新しい普遍主義のこともいっしょに考えています