MEMO

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“Many people in the West really don’t understand Chinese history and the deep cultural traditions that exist in China.”

ーFrancis Fukuyama


新自由主義新保守主義とともに成り立った所謂ネオリベ経済学は、言論によっては覆せぬケインズ経済学の絶対的権威に数学で挑んだが、その限界は80年代にはマルクス系が行ったネオリベ経済学の厳密な数学的再構成によって証明されてしまった。これによって新自由主義新保守主義は知的支えを失ったとわたしはそう考えていたのだけれど、これらはかえって自由に、節度なくというか、東京中心主義に対する異議申し立てを通じて何でもかんでも喋るようになる。かえって経済学は二次的な周辺の知に置かれることによって、普遍を語る中心の知を占拠しはじめたかのようである。しかしその内容は、伝統でも保守でもない明治維新の近代を称えるだけだったから、必然として東京の外に東京に対抗する東京を作る主張でしかなくなった。現在もしそれを東京の中で言うとしたらそのアナクロニズムに何と言ったらいいだろうか?日本新自由主義新保守主義は伝統と保守を主張しているときに彼らから遠ざかるものは伝統と保守の知だ。これを天皇抑止論者が批判するという現在の絶望(ただし、国家からの<自立的私>の課題を殺戮するこの言説は、新自由主義新保守主義ではなくて、構造主義からくるものだ。この場合、天皇を批判しなかった吉本は構造主義者の一部である。)伝統と保守の知は、学問と文化、経済、政治は、ひとつの原理主義に包摂されない空間のネットワークとして一体としてあったあり方を記憶している


推敲中

伝統と保守の知に依拠すると言うのならば、京都(学問と文化)と大阪(商業)と江戸(政治)が構成したネットワークのあり方を空間的に一体としてあった関係として考え直してもいいだろう。鎌倉時代と比べて統治の範囲が遥かに普遍性をもっていた江戸幕府のもとに、流通は物と共に知を運んだ。そうして商業空間から懐徳堂という学問の場が出来てきたのだ。歴史を参照すれば、現在のように学問・文化を経済と対立するかのように考えることはできない。経済は自己に定義を与えたときは、学問と文化による概念の再構成(「経世済民」)を必要とした。西欧の学問の語彙の多くは蘭学のこの時期に翻訳されている。おそらく翻訳がなければ明治維新などは不可能だっただろう。


ゴダールの編集では音楽作品を使うとき冒頭が使われることが多いのは何故か?スクリーン上の投射においてはじめて見える意識の塊をきかせようという現象学的企てだろう。このときエクリチュールを排除する必要もないとわたしはおもっているのは、サイレント映画現象学的に成り立っていたわけで..


「文法的だが受け入れられない」(grammatical but unacceptable)。

この原則をもっと言うと、ヨーロッパにおける文法の成立と展開を議論する論理と思考の自由があるが、そこに、何でもかんでもヨーロッパの思考を枠づける正当化が必要なのでしょうか?文法のある機能が失われたことを根拠に、ヨーロッパの思考が不完全になったと考えること。根本から問う学の知としては考えることができるかもしれないですが、どうもラディカル・リベラルの感じがしません。カント哲学における有限性の意義をみとめた反権力のドウルーズから影響を受けて考える哲学者に宛てて言うことですが、果たしてそれは現代思想多元主義の方向性をもっているのでしょうか?わたしはちょっと疑問なんですね


江戸万歳!は過ぎ去った。まだ江戸があるとしたら、武器としての江戸思想史である。これは、近代が「前近代」と見下す思考の平面ーひとつの原理に包摂されないーを打ち出せること


大正デモクラシーは戦争体制に邪魔されて不完全に終わったと戦後民主主義は言う。逆である。日本帝国主義の完成から始まる大正デモクラシーが戦争体制を推進したのでは?それは満州事変を準備する統制だった。大正は事実上明治末から始まった。日比谷公園焼き討ち事件、大逆事件大杉栄虐殺。関東大震災以降の右翼の台頭。大正の言説空間は偶像の再興と脱神話化との間に揺れ動く


「総理になったのは天命だ」と安部が嘘ついてないならばアジアは天帝が二人もいる。もはや国家でしかないのに自らを普遍をもつ帝国と錯視していたら他の住民から反発されて当たり前


 ‪天の絶対性は天罰として表象される。顔回を失った孔子は天を仰ぎ見るしかなかった。読むことが不可能な原初的テクストに意味を与えたのに学の継承者がいないと。われわれは天の主宰者としての意味を知ることができずに大地に立つのである。顔回の葬儀は簡単だが心を尽くして行ったらしい。‬


丸山真男の講座派を包摂した市民社会論は永久革命のラディカルモダニズムだった。吉本隆明はこの言論によっては覆せぬ絶対的権威の近代を問うた。竹内好が「近代の超克」を問い直した。そして祀る神は祀られる神である構造(天皇制)の問題が顕在化した後期近代の現在、思考の平面(昭和史)は自ら、昭和十年代に留まる権利を主張する


アイルランド内戦を描いた映画のラストでナレーションは、クーデターがもたらした「銃の政治は終わった」と語る。これはアイルランド映画ならではの<嘘のナレーション>として現れるものだ。さて明治維新150年で、明治維新万歳!をたたえるひとはもういなくなった。「植民地主義を終わらせた」と前置きしながら明治維新の批判を語ることが当たり前になったとき、昔教会の下の劇場でみた芝居は「明治はまだ生きている」と語ったことを思い出す。明治維新は嘘つきではないか?それは、「今こそほんとうのことを言う」と語るとき、銃で射殺してくるような暴力だ


イギリスにいたときは、契約書(保険)を作るときは第三者の承認が必要ですが、これは誰でもいいのですね、たまたま地下の駐車場にいた人にサインして貰ったことがあります。こういうのは現在の日本ではないのですね。


江戸時代は仲介者が介入する契約の成立のあり方に関心を持ちました。


議論のあるところですが、天皇の古代王権は近世まで存続していたとみる見方があります。日本は古代王権と武士政権との二重体制だったというのですね。律令制の外部で訴訟社会に生きた鎌倉武士たちは、一生懸命漢字を読み(僧侶から習ったでしょう)、漢字を読めない者は平仮名を読んで訴状を作るのですが、このとき中世の価値観である「お天道さま」に誓ったのかどうか関心がありますが、天の公を超える依拠に関するこういうことは文献として残っているわけではないのでどうも何とも言えません。


反省のない子供だったから先生からけじめノートを作らされた。写経のつもりで全ぺージを「けじめ」の字で埋め尽くした。けじめのないノートに呆れられた..


柄谷行人は、映画『ラストエンペラー』について書いた文だけか、読めるのは。彼は外部について書いた。この映画評で廣松渉から出なければいけなかった自分のことを考えたに相違ない


『忘却のキス』も医者が登場する。人間を問う文学は自らの為に、人間の内側を切り裂く解剖のイメージを求める。と私は経済学に成るー生命が死と直面する危険極まりない地域の側から


文学者に拘る知識人が帝国の経済学を書くと、経済学の中心には他者を無きものにする彼が惹かれる文学的解剖の欲望が見出される。自らの欲望を検閲している互酬性Xの語で隠蔽するが


権利のない社会と不平等に抗議する言論活動に対しては、米国の警察と香港の警察は外見的には変わらないです。もし「黒人暴動」が米国の大きさをもった香港で起きていると考えてみたら何が言えるでしょうか?グローバル資本主義の問題が地域的に「黒人暴動」の形をとっているのではないですか?それならば、この問題は此方の問題ではなくて彼方の問題なのでしょうか?


 ‪柄谷行人の「世界史」の動因は専ら戦争です。その意味でヘーゲル的なのですけれど、ほかにないのでしょうか?例えば津田左右吉は本を書いたときこの厚さが国家と対等な<自立的私>のイメージです。1970年代から重要になってきたのは、「私<と>私」は国家に巻かれても、ノマド的にウロウロウヨウヨ、ワイワイガヤガヤして巻き返すノマドの思想。帝国のノマド的デモクラシーに対する国家暴力を正当化する礼の言説は過剰だと思います‬


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‪Le Maître dit ; <Pour gouverner un État d'une certaine importance, il faut traiter les affaires avec dignité et bonne foi, cultiver la frugalité et la compassion, n'imposer de corvées au peuple que durant les périodes prescrites.>‬

‪Confucius, Les Entretiens ‬


此方の問題と彼方の問題は共通であるか?此方と彼方の差異を消去してしまうと、此方の問題も見えないし彼方の問題も見えなくなってしまうことだってあるだろう。しかし現在香港とアメリカで起きている問題は、此方の問題と無関係な彼方の問題なのか?そうだとはおもわない..



昔は単純でした。この時代はほんとうに複雑で色々なことを考えます。クリントン(旦那さんのほうですね)が「市場と両立する社会民主主義」と言い出してから、民主党共和党の差異がなくなりました。そして現在これが原理主義に包摂されるかのように、ツイッター世界からトランプが現れてきました。トランプは、何がなんでも彼を支持する4割の支持をもって全体意思をもっています。これからツイッターとのたたかいが展開しそうです。この風景と、儒教文化に包摂されるような中国の官僚資本主義の風景は、あえて書くのですが、びっくりするほど(笑)それほど違うものではありません。それは西欧の体制が中国に棲み始めたからです。毛沢東とマリリンモンローの結婚と揶揄されるポストモダンの風景でもありますね。しかし西欧と異なる決定的な一点があります。中国には土地の私有が一切みとめられていないことです。毛沢東にしたがった古参の三世、現在の共産党の超富裕層が海外の土地を買いまくり子弟たちを米英の大学に留学させていますが、もし文革のような反乱が起きると政府がまるごと海外に亡命しなければならないというような変な体制です。グローバル資本主義の分割として帝国アメリカがあり、帝国中国があるのですが、問題は、仲が悪いんだか実は支え合っているのかさっぱりわからないこの米中の構造のことばかり考えていたら、迫害され命がけで声をあげる人々が見えなくなるし彼らが何を言っているのか考えられなくなってくるでしょうね。


「私は何を希望することが許されるか」とカントは問いました。わたしはこの文の意味を考えています。は、言語的存在である「私は何を知ることができるか」と道徳的に要請されている「私は何をなすべきか」の後に続くこの言葉が一番大切だとみるひともいます。なるほど、こういう時代だからこそ大切な問いかけです。日本語の「希望」は、輸入してきた中国語の「希望」が意味するようには存在していないときいたことがあります。

「希望」の語はいつ、一般に使われるようになったかに関心があって、大正かしらと思うのですが、資料的根拠がありませんからテキトーに喋るのですけれど(すいません)、ただ、大正の「希望」は、明治の「希望」とかなり違うと思うのですね(大正の希望は人間と等身大というか。) 江戸時代に「希望」に対応する言葉はあったでしょうか、無いかもしれません。昭和の希望?大江健三郎は「希望」という言葉を書きますね。戦後文学がはじめて罪悪感を問題にしたということをかんがえると、戦前は罪悪感なき希望だったのかな?

中国知識人が「希望」という字を使って書くときはものすごく絶望しきっている自分の状況を表明するときだけだという話を子安宣邦氏から伺ったことがあります。知識人に対する弾圧は、現在の体制のことだけでなく、2500年続いていることだということを知りつつあります。昔、30年前ですか、中国映画(『学校の先生』等々)を沢山見た時期があったのですが、共通していたのは、希望にたいして絶望しきった態度でした。


「私は何を希望することが許されるか」というカントの文に戻りますと、絶望し切っているところに、「私は何を希望することが許されるか」と問うているあり方を中国映画から学んでいたのだとやっと理解しつつあります(遅すぎですね..)


 ‪グローバル資本主義の分割として帝国アメリカー表象”アングロサクソン”ーがあり、帝国中国ー表象”中華世界”ーがあるのですが、問題は、仲が悪いんだかそれとも実は支え合っているのかわからんこの米中の構造のことばかり考えていたら、そして日本の中で何言っても無駄な乱世にすっかり慣れてしまっていたら、迫害され命がけで声をあげる人々が見えなくなるし、彼らが何を言っているのか考えられなくなってくるでしょうね‬


ハーメルンの笛吹き男の話が好きだった。現代は小説を書く男が「天皇の大御心をききたいみんな」を拐うのは笑わせてくれる。ただ青年将校達も初めは冗談でやっていたつもりがね..


『漢字論』は、不完全な理解ですが、二度読みましたが、『朱子語類』を読んでいただいたおかげで、第三章を発見しつつあります。私達は漢字訓読で読む過去の母語への距離があるのですが、わたしは不勉強ながら、講座で中国の友人たちと出会えたこともあって、彼らにとっては過去の母語を17世紀の注釈で考える距離を知り、彼方と此方の間で漢字を一緒に考える面白さというか 問題意識が深まりました。同じ対象(思想)をみているときに、言語が現れることの不安、絡みあっている距離の二重化とでも言うことができるでしょうか、これは何かと気になっています。また『朱子語類』の読みと平行して行った講座「明治維新の近代」で津田左右吉の音声化のラディカルモダニズムの視点を批判的に考えてきましたので、また第五章を読んだら時枝の別の物の見方をもっと理解できるかもしれないとおもっています。


...文の影響かもしれないとおもうけど、絵をスケッチしてみたら画家ベラスケスの筆が闇を切り裂くナイフみたいになっている。画家は二重化によって王の場所に立っているが、王の視線=画家の視線という等価はあり得ない。そういう同一化は二重化を無意味にしている。仮に同一化を指示するときはそれは絶望しているときだけだ。絶望こんな本質的なこともどうして理解できないのか呆れるが、この種の近代の権威主義は、バロックの絵ーどこに立つかの偶然を利用して従属から逃れる精神ーを鑑賞することが無理なのだろう。このこと自体も近代の入り口に描かれた絵が映し出すのであろう。『言葉と物』第10章を読むときこの絵は役に立つだろう。歴史主義は、人間が自身を権威とするような内部に絡み取られる結果、非歴史化された人間像を思い描くのである。


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推敲中

先人の遺文とは書かれたもの、今風にいうと、エクリチュールということらしい。ただし先人の遺文イコール書物ではない。伝説的にいうと、孔子は書物をつくりだしたという。孔子の前に、書物は存在しなかった。仁斎の大意(子安訳)を読んで面白いとおもったのは、学問はその初めが大事なのだれど、もっぱら文章を学ぶことを重んじる。だが、「古えにあって徳行と学問とは、別のことではなかった」という。その「徳行」の意味はなにかという問いが起きるが、すくなくとも、行為とか行動の質が問題となる行いのこと。学問と行いは切り離していけない。講義がはじまった4年前にこれを読んだときの私の勝手な理解であるけれど、エクリチュールを中心にした脱構築的解体にとどまらず、そこから、市民として何をするかということが問われているようにおもった。


推敲中


普遍主義といえば、ヨーロッパ。その中心にフランスとドイツとイギリスがある。そういう国々の中心的近代は自らを(自らが想像した)古代に表現しようとする。日本近代と大和王権の関係がそうである。(現代人は古代劇の仮面を以て自らの姿を隠す、あるいはそれによって自らを表現しようとする。)ただし、中心があり、切り離してはならない外部がある。アイルランドの近代は、中心的近代とは異なる、非連続性の思想をもっている。例えば、古代との文化的同一性を強調してみたところで、19世紀にはゲール語は消滅しきったのだから古代を読む方法がないのである。そしてゲール語は植民地時代に、たしかに抑圧は存在したけれど、アイルランド人自身が生活の必要から捨てたのではないだろうか。ジョイスの「ユリシーズ」が言いたいのは、連続しているのは、アイルランドの民の生活だけだ、そして知識人の言説のあり方から独立したような実体としての文化的同一性などが存在するわけではないということ。古代人は現代のブルームのお面やモーリーのお面を手にもっている。このことは、過去からの連続性はあっても同一性はないとということを書いたのが『ユリシーズ』であるとわたしは読む


こういうマスクもありありじゃないでしょうか。ただしジョイス文学では古代ギリシャ彫刻がかぶっているようですけどね。偶像再興の和辻ならば仮面を被るのは仏像ですが?脱神話化の津田左右吉がこれを否定し尽くす?ギリシャであれアジアであれ、これは何をあらわしているかはっきりわからないですけど、現在の関心に即していえば、普遍主義の再構成は起源の再構成をともなうこと。普遍主義と起源を無制限に再構成すると、人間があらわれてこないこと。無制限を制限するときに、人文諸科学の成立とともに存在する人間という自らを起源とする永久革命(破綻した)があらわれること。人間が消滅した後は、無限なき有限性。決定的な分析の空間に広がるのでもなく、上昇する絶対の領域に向かうのでもないような、絶えず境界線がズレていくしかない、破片としての部分的全体性。言語が定位する起源なき廃墟


象徴性を過剰に超える統合性は国民主権を危うくすると憲法も警戒しているのに、どうして、自分たちに不利になる方向に惹かれて行くのでしょうか?構造だからでしょうか?たしかに、天皇ファシズムとは、現人神である天皇が国家祭祀を主宰する無制限の権力ー憲法に書かれないーをもつ構造でした。ほかでもない、ここから、天皇は植民地化したアジアに向かって大御心を語ったとき、‪全体主義軍国主義の方向が一致しました。‬だから現在この歴史を知っている人たち、もっと自由に喋らせてくれと要求する人たちは、戦前のように再び大御心をみとめることは不可能です。構造を超えるためには、国家祭祀の禁止に依拠するしかないではないかとわたしはおもいます。

象徴性を過剰に超える統合性は国民主権を危うくすると憲法も警戒しているのに、どうして、自分たちに不利になる方向に惹かれて行くのでしょうか?構造だからでしょうか?たしかに、天皇ファシズムとは、現人神である天皇が国家祭祀を主宰する無制限の権力ー憲法に書かれないーをもつ構造でした。ここにおいて天皇は植民地化したアジアに向かって大御心を語ったのです。だからこも歴史を知っている人たち、もっと自由に喋らせてくれと要求する人たちは、戦前のように再び大御心をみとめることはないのです。現在まだなお構造と力について語る価値があるならば、構造を超えるためには、国家祭祀を禁止する力に依拠するしかないではないかとわたしはおもいます。


「知識人が真の知識人といえるのは、形而上的で高尚な理念に衝きうごかされつつ、公正無私な、真実と正義の原則にのっとって、腐敗を糾弾し、弱気をたすけ、欠陥ある抑圧的な権威にいどみかかるときなのだ。」ーサイード『知識人とは何か』

「形而上的」がアジア形而上学ではダメなのか?「理念」は仁斎学における道徳性では足りないのか?「真実と正義」の普遍について横井小楠は何も語らなかったのか?「欠陥ある抑圧的な権威」は戦後も現れてきた現人神ー祀る神は祀られる神の構造ーのことではないのか?

‪オフィーリアと呼んでいる母が茅ヶ崎にいてこれが猫のなかの猫みたいな存在なのだが、気紛れの猫に愛されるのだって難しいのだから、猫の猫に愛されることなんて...‬


ベートーベン生誕250年


ラス・メニーナス』の複雑な構成は西洋絵画の分野では盛んに分析されたが、最近手に入れたフーコ『言葉と物』の表紙のように枠付けると、絵は単純である。絵のなかの臣民が見ているのは、ほかならない、王の身体、”御真影”である。再び絵の中に画家の姿を構成すると、絵は複雑になる。近代の絵画は描く画家の姿を描かないのである(マネは例外である。)

さてだれがどこに立つかは偶然であるとするのがバロック芸術の大前提だ。画家は王が立っている場所に立っているが、そうでなければならぬという必然性はない。画家はたまたま立っていたかもしれない。王もほんとうにそこに立っていたのか?壁にある鏡のなかの王の姿も殆ど消えそうではないか。フーコは王と画家と人間が同じ場所に立っているというとき、彼はそう考えてみたらどういうことが言えるかと読者に問うた。三者はあたかも鑑賞者のわれわれが立っているところの裏側から部屋の内部を見ているようである。このとき臣民と見つめ合っていると考えるひとはナイーブすぎる。事後的に、見つめ合いの場が描かれただけで、現実はモデルの常として臣民たちは全員バラバラの方向を見ていただろうーバスケット選手たちのように。ベラスケスは隠蔽しているが、どの視線も他の視線に従属しない。視線と視線は重なりあうことはない。重なり合うのは画布の表側と裏側だけである。バロック芸術の本質は折り曲がることにある


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宋の時代に遡ることですが、『四書』においてはいわばバベルの災厄とフーコが呼ぶ事態が起きていたと理解しています。朱子が行ったことは‪『四書』の読み方を変革して言語(ランガージュ)の奪回をはかったことではないでしょうか。東アジア世界のコスモポリタニズムの成立です。本居宣長の「天地初発之時」から漢字的意味と思想とを追放したことは、アジアにおけるバベルの災厄と比べられますが、しかしこの場合は普遍性の奪回ではなくパロール的バンダリズムbandarismです。音声化のラディカリズムと能記と所記の隙間なき網目の成立。隣国同士で互いに何を喋っているかわからないナショナリズムはここから始まったとも考えてみることがゆるされるでしょうか。「日本人」の成立です。子安先生が「宣長大好きな日本人にとってこれは最悪な本」を書いてくださったおかげで、「日本人」にとって思考できなくなった最悪でもまだ何かの思考が残ることを教えてくださいます。文化の他者性とは何か?この本こそは、他者の言語の存在を思考させてくれます!‬



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恵比寿で蕎麦を食べていたら、ローゲを思い出すような稲妻にびっくり。ワグナーの『指輪』は力だけが支配する善悪なき世界であると言われるが、それではファシズムの世界だろう。しかしそうではない。ワルキューレブリュンヒルデ(娘)と神々に君臨する主神ヴォータン(父)との間の議論ー長々と続くのでウンザリさせらるけれどーに、ギリギリの倫理的要求がある。

(下はベルリン・ドイツ・オペラ1987のパンフレットより)

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嘘は人生に意味をあたえることがありますが、場合によっては嘘は他者から人生を奪ってしまいます。演劇界のハロルド・ピンタがイラク戦争で嘘をついたブレア首相に抗議する形で言ってました。芸術は嘘が必要であるけれど、政治家は嘘をついてはいけないと


Le projet de se peindre soi-même pour instruire le lecteur semble original, si l'on ignore les Confessionsde saint Augustin : « Je n’ai d’autre objet que de me peindre moi-même. » (cf. introspection) ; « Ce ne sont pas mes actes que je décris, c’est moi, c’est mon essence. » 


墓のように鍵がかけられて本居宣長の他に誰も入れない『古事記』の部屋から、本居宣長は脱出していたかもしれない。記号<『古事記』>は古代人の心をあらわすことが不可能なようf:id:owlcato:20200608202240j:plain


私は高校生のとき小林秀雄が好きでしたから、自分の力も知らずに、いつか批評家になりたいとおもっていたのでした。思想史的に言うと、50年代にマルクス主義批評(例.丸山真男)が終わったときに、小林秀雄が大事になったといわれます。小林は自分が戦犯なのかわからないまま、喋る続けますね。そこでテクストを通じて自分を語ることを良しとしたのです。『本居宣長』を書くときは、テクストを通して宣長の心を語ることを良しとしました。そして宣長も『古事記』を通して古代人の心を語ったはずだと。私の心=宣長の心=古代人の心。遠方から友がやってくるようにこの等価式が成り立つはずです。しかし実際は上手くいったでしょうか?子安先生が指摘なさるように、宣長の心をいくら追いかけてもうまくいかないのです。結局かえって、テクストを通じて私は存在すると言うことは不可能であると示してしまったのだと私は理解しています。(公の知であるマルクス主義にたいしては、「私」が存在しないと小林はみとめるわけにはいきません。)宣長は古言を解釈するためにただ方法として古代人の心を想定しただけです。とにかく小林が本居宣長において行ったことは、同時代的に、ウィットゲンシュタインがやったことをやった勇気のある探究だったとわたしはおもっているのです。小林秀雄からこのことを学びましたーテクストを通じて存在するのは公を超える天だけだと(これは吉本の言葉を借りると「信の構造」です)


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そもそも世界地図でカイロがどこにあるのか指させないような読者たちが、「カイロ大学歴詐称」自体に怒ってもね(笑)。カイロでなにを学んで、何を言うかということが非常に大切だったと思うのですけれどね。一般的に言って、どこの現地の知識人たちは外国人に話を聞いてもらいたいのですから、大学の周辺にいてもかならず何かを学ぶ機会がありますし、帰国後の勉強が大切になりますが、何とか日本を外からみる視点をもつ可能性だってあるでしょう。レジャーランドの時代に舛添ゼミで一生懸命勉強したこのライターの本は大学のイメージにたいしてノスタルジーをもちたい人たちに訴えるのかもしれませんが、大きな視点でみると、明治時代から同じ体制を続けている西欧の学問中心の、戦後三世代めになった日本の大学。そして、もともと黒塗りが得意ではいってきたひとたちが三代目、四代目となって今日オンライン授業で教える時代の大学ではないですか(笑)。

嘘に怒っている人たちは、何でしょうかね、安倍晋三時代にあってナイーブというか、本物にこだわる起源に関するナショナリズムがあるようにおもいます。昔は国籍不明の感じの原節子でしたが(右翼とは知りませんでした)、今日はアラブから来た小池が演じる起源のオブセッションを嘲笑った、節操のない映画ぐらいのものだと思えばよろしいかと。イスラムのことも考えなくてはとおもうために、できれば、アラブの言葉をもっと使っていただきたかったでしたが、今回は投票は彼女の公約実行で判断すればいいとおもいます。わたしはまったく評価しません(私は東京の投票権ないですけれど)